2011年2月22日火曜日

カール・ヤスパース『超越者の暗号』

暗号は現実の超越者の言葉であって、超越者そのものではありません。それらは浮遊し、多義的であって、普遍的に妥当するものではありません。暗号の言葉は、悟性にとって聞くことができず、ただ可能的実存としてのわたくしたちにとって聞くことができるにすぎません。
史実による報告においては、暗号は種々な観点に従って外面的に秩序づけられた、空想と幻想の集積となりました。しかしそれに反して哲学的反省――哲学的反省にとってこの報告は役立つのでありますが――においては、それを思惟することによって遂行される内的行為によって、わたくしたちは自己となる準備をしたり、自分自身を想起したりすることができます。実存の根源的な覚知と決断のその都度歴史的に一回限りの瞬間においてのみ、暗号は真実に開明する力をもつことができます。

◆『ヤスパース選集37 神の暗号』(草薙正夫訳,1982年,理想社)「第八講」より。→ヤスパースは「神」「超越者」という言葉を似通って意味で頻繁に使っているという理由で、訳者により邦題は『神の暗号』とされている。


超越者とは、実存が限界状況に面した時、たまさか出会うことの出来るなにものかであり、それは暗号という形でのみ覚知できるにすぎませんが、僕らの人生において時に大きな影響を与えるかもしれないもの。それは信仰者にとっては神であり啓示であったりするし、詩人にとっては詩的インスピレーションの源泉であったり時折降ってくる暗号としての詩的言語そのものであったりしますが、別に信仰者や詩人でなくとも、何か深刻な挫折を味わったときに直感的に覚知することのできるなにものかである、とひとまずは言っておいて差し支えないでしょう。

この著書は1961年にバーゼル大学で行われたヤスパースの最終講義をまとめたもので、無神論と有神論が対自的にはなぜ和解できないかを理解する手がかりを与えてくれる哲学であると同時に、無神論と有神論との間の橋渡しの可能性を開く哲学でもあります。
そして哲学者としてのヤスパースの思索のエッセンスを全八講の中に極度に凝縮させたものでありながら、講義という性格上、様々な例を挙げながら平易に語ってくれることに魅力があり、それゆえ後期ヤスパース哲学入門ともいえる手引き書となっています。そこにはヤスパースの哲学が目指した究極の課題ともいうべき、ニーチェによって神の死が宣告された後における、新しい形而上学の構築の到達点が垣間見えるのです。
しかし邦訳は一度も増刷されず、また発行部数も少ないようなのでヤスパース選集の中でも特に入手困難な稀覯本になってしまっているのは残念でなりません。

とはいえ、第1巻の『真理について』(邦訳は全5冊、2000頁を越える大著→僕もまだ完読できてません
⇒2015年11月に完読)が公刊されたのみで遂に未完に終わった『哲学的論理学』の第2巻、『範疇論』のエッセンスが第六講に盛り込まれているのも貴重で、ヘーゲル以来の哲学的論理学の刷新と未来哲学への展望が窺えるところなどは、やれポストモダンだ、やれポスト構造主義だ、と後のフランス現代思想がハイデガーを経由して考究していく数々の問題系をヤスパースが早くから認識していたことを示すものであることと併せて、アカデミシャンには反省を促したいところ。
アーレントがヤスパースとの往復書簡の中で、『哲学的論理学』を「西洋哲学の最後の書物にして、未来哲学の最初の書物である」と評した言葉は、往復書簡の邦訳が公刊されて6年が経つ今、どう受け止められているのか、あるいは受け止められていないのか・・・。

とくかく、この本にはもの凄いことがたくさん書き込まれています。それも極めて簡潔な言葉で。

ほんとに平凡社ライブラリーやちくま学芸文庫、あるいは岩波文庫の企画者には目を開いてほしいなと思うのですが、研究者も批評家も編集者も?しつこくハイデガーに呪われている現状では厳しいとしかいいようがありません・・・。ハイデガーの哲学も韜晦された暗号のような性格をもっていますが。

でも、実存をめぐる哲学はますますアクチュアルになっているのですから・・・。

 

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