2010年4月14日水曜日

カオスから、あるいはカオスへと生成されるコスモス  ~「陶芸の提案2010」所感

4/12(月)の夕方、先日紹介したグループ展「陶芸の提案2010」に行ってきました。ほとんどの作家が1980年代前半生まれという若手ばかりの展覧会です。
この日は初日、ギャラリートークがあるとあって、出品された作家全員が在廊されていました。

すべての作品を心ゆくまで鑑賞することはできませんでしたが、限られた時間の中でも強く惹きつけられた作品がありましたので、ここに少し書き付けておきたいと思います。

(写真をクリックすると拡大)
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〈谷内薫さんの作品〉










今回展示された新作のタイトル「糸間Ⅰ(あいだ)」「糸間Ⅱ(あいだ)」は、糸偏(いとへん)に「間」という字を組み合わせたもので、作品のイメージに沿う漢字を任意で作ったとのこと。漢字は東アジア世界の様々な時代や地域において数多く作られ使われてきたものですが、イメージを媒介するものとして、オブジェとは親和性があります。大学で染色を専攻していたという谷内さんは、硬く、冷たく、重い素材である土を使って、糸のような、また糸偏で表される言葉のような軽い柔らかいものを表現しようとしたと言います。谷内さんの創作のテーマは、目には見えず形もないけれど確かにそこに存在しているモノやコトであり、繊細さと力強さをともに感じさせるマチエールに大きな特徴がある彼女の作品は、人と人とのつながりや共にあることの仲立ちになる何ものかの、極めて動的なメタファー(隠喩)であると思いました。それは、時間の中で絶えず生成変化し続ける世界内存在としての私たちが遺していった交わりの痕跡なのでしょうか。あるいは、作品を見る〈私〉と作家との交わりそのものであるのかもしれませんし、今これを書いている〈私〉と読んでいる〈あなた〉との交わりの喩であるのかもしれません。いずれにせよ、作家が敷設した作品への通路は無数にあり、まるで肌理のように刻まれた一つひとつの線がそれを象徴しているかのようです。
今回の作品は、強い磁場の存在を感じさせる撚り込まれた細長い穴の奥に、心や体が吸い込まれるような印象を受けました。







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〈甲田千晴さんの作品〉







森の命の輪廻を創作のテーマとしている甲田さんは、森を歩いていた時、羽化しようとして果たせずに死んだ蝉をみて感じ入ることがあったと言います。ですが、ここでの死は決してネガティブなものではありません。植物や昆虫が生まれ、生き、命を終え、亡骸は土に還り、堆積し、そしてまた新たな生命を育むのですから。
今回展示された作品「静観する抜殻」は樹木の幹のようなものの中から枯死した枝とも白骨化した動物ともとれるようなものが突出しているのですが、よくみるとそれは白化した昆虫の死骸のよう(甲田さんによるとこれはカブトムシだそうですが、異形の姿をしています)。樹木の幹のようなものは昆虫の蛹とイメージが重ねられており、そこに刻まれた筋の一本一本は年輪を思わせます。ドーナツのような形状は円環する時間の堆積、あるいは永遠回帰を意味しているのでしょうか。この作品は悠久の年月を重ねたものから新たな生命が生まれることを表現しているようです。しかし、その生まれ出ようとしているものがすでに死を表象していることの意味は重層的で複数的です。まさに殻を突き破り脱皮せんとする瞬間に溢れ出るエロスがそのまま凍結されたようにもみえます。生はつねに死を内包していることを、作家は熟知しているのでしょう。




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〈椹木みづほさんの作品〉





一見POPな印象の強い作品ですが、その意味は決して軽くも浅くもありません。羊は群れる動物ですが、弱くとも群れることで力になる、人もまた群れることで共にあることを実感し、そして時には情況を変革する力をも生みだします。作品「よ~ぅじれる」「め~きめぇき」で表されたよじれや傾きは外部からの強い圧力によるもの。しかし当の羊たちは安心感にみちた、思わず笑みがこぼれるようなユーモラスな表情をしています。笑いには、真面目くさった態度でこの世界を支配している者たちが押しつけた秩序を、脱臼させる力があることを思い出させてくれました。
これは、群れることの力、笑いの力、ひいては共にあることそれ自体を存在論的に肯定する作品であるといえるでしょう。



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オブジェとは空間に提示された構造物であるとともに、空間に投げ出された詩のようなもの。見ること、蝕知することによって心の襞に包み込んだり、心の角に引っかかったり、心が引き込まれたりする、イメージの媒体といえるものです。その場で即座に意味がわかるようなことはむしろ稀なことで、見る者としての〈私〉が浮かべるイメージと作品が発し迫ってくるイメージとの交歓により少しずつ意味が彫琢されていくものですが、そのように作品が作家と見る者との間で詩的に立ち回るような作品に僕は大きな魅力を感じます。

以上に評した三氏のほかはまだ十分に言語化できていませんが、花のモチーフから変成されるイメージが重ねあわされた元川知子さんの作品、背後にあるものと見る者との間に諺を掲示する山本朱さん、造形技術の高さを窺わせるマチエールに強力に惹きつけられる金理有さん高間智子さんの作品にはより深く鑑賞したいという欲求が掻き立てられました。
皆、自らの表現方法を固定したものとは考えていないようで、そこに壁や溝を自由に横断し越境していくしなやかさがありました。そしてそれぞれの作品はそれぞれに異質でありながら、空間を同じくすることで作品単体では決して現れようのないアウラが相乗的に湧き起こっていることに心地よさを感じます。
カオスから生成されるコスモス。あるいはカオスへと生成されるコスモス。
そんなことを思いめぐらしました。

この展覧会は大阪・西天満のギャラリー白にて4/24(土)まで開催されています。

2 件のコメント:

  1. きょうやさいさま

    12日はご来廊いただき、また「陶芸の提案2010」展のご紹介をしていただきありがとうございました。
    若手作家たちの意欲的な作品を取り上げていただき嬉しく思っています。
    今後共よろしくお願いします。
    ギャラリー白

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  2. ギャラリー白さま
    素晴らしい展覧会を企画してくださってありがとうございました。
    今後の企画にも期待しておりますので、また折に触れてお伺いしたいと思っております。

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