2010年4月4日日曜日

安里健(ミゲル)「真摯な紳士」

あるとき一人の紳士が
銀行を訪れ
受付嬢にこう言った
おたくの銀行にお金を預けたいんですが
受付嬢は
どうも有り難うございます
と言った
紳士は
いえ 別にお礼を言われる程のことではないんです
と言った
すると受付嬢はまたもや
どうも有り難うございます
と言って
それでは と言いかけたときに
紳士もまたもや
いえ 別にお礼を言われる程のことではないんです
と言って
私のお金を預かって頂ければそれで
いいんですから
と言った
すると受付嬢は
ええ ですからこちらに記入して頂いて
それから と言って用紙を差し出そうとしたときに
紳士は
いえ だから私が言いたいのは
おたくの銀行に私のお金を預かって頂きたい
ということで つまり
いま私が預けようとしている一万円を
他人のお金とごっちゃにして大きな会社に
貸してしまったり
政治家や政党に貢いでしまったり
不動産屋とグルになって
土地転がしの資金にしたりせず
この一万円を
他ならぬ私個人に帰属するところの
私だけの大事なお金として
預かって頂きたいのです
ほらここに
私の名前が小さくはありますが
はっきりと記入してありますし
私の手帳にはこのように
この一万円札の通し番号も
ちゃんと控えてありますので
銀行は銀行で私の一万円札であることが一目で分かり
また私は私でその一万円札が私のものであることを
名前の位置や筆跡といった曖昧なものでなく
番号を見てすぐ確認できるのです
だから今度私がくるまでこの一万円を
しっかり預かってさえ下されば
それでいいのです
別に お礼を言われる程のことはないんです
と言った
その後も両者のやりとりは続いたが
やがてその銀行の
主任と称する男がやってきて
噛み潰した苦虫を喉につっかえてしまったように
なにやら説明し終わると
紳士はようやく
一万円札を財布にしまって
銀行を去って行ったのだった



安里健詩集『現代御伽噺』(1988年,潮流出版社)所収。 

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