◆松本哉「詩」(『紫陽』13号〔2007年9月〕所収)。
「革命家・松本哉の「詩」なるアジテーションは、見えにくくされてしまった、奪うものと奪われるものの関係こそが怒りの向かうべき方向であることを、重苦しい気分を吹き飛ばすやり方で明らかにした。だが読者の間には、この「詩」が詩でないとする意見も少数ながらあった。また松本哉本人も詩なのかどうかよく分かっていない様子だった。しかし編集人としてはこれは詩以外の何物でもない、とひとまずは言っておこう。なぜなら、本当に金持ちを袋叩きにするわけでもなければベンツを燃やすわけでもないからだ(むしろ金持ちは心にゆとりがあるのでいい人が多く、逆に貧乏人は心にゆとりがないという悲しい現実もある)。だが、これが詩であるのかないのかなどはどうでもよいことだともまた言えるのだ。松本哉の「詩」は情動を解放し、読んだ者の前には、怒りを言葉にすることで開かれた地平が確かに広がっているからである。これは、言葉に内在する革命的機能をスレートに表した好事例なのだ。 〈K〉」(『紫陽』14号〔2008年1月〕編集後記より)
詩的レトリックなど微塵もないのに凄まじい力をもつ松本哉の「詩」は、詩壇を揺るがしただけでなく、オルタ界ではすでに伝説化しています。しかし『紫陽』13号は好評につき発行から三ヶ月ほどで完売してしまったため、各方面から入手不可を残念がる声を多数いただいていました。なのでここで改めて紹介したというわけです。
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