2010年4月30日金曜日

重本晋平「まちくさ展in奈良」のお知らせ

以前、このブログで紹介した重本晋平さんが奈良で個展「まちくさ展in奈良」を開催されます。とても面白いですよ。





◆2010年5月7日(金)ー12日(水)

10時~19時(最終日は18時迄)
奈良・藝育カフェ「sankaku」
e-maiil:info@aalabo.com


5月9日(日)には「まちくさめぐり」も開催。
奈良の町を「まちくさ」探して練り歩きます。
参加ご希望の方はinfo@aalabo.comまで。

2010年4月28日水曜日

竹村正人「その日、寒い部屋から男は、」

すべてが記号に換言される寒い部屋で
長ネギを抱きしめている男は
その日、タヌキのように外に出る
おーーーーーーーーーーーーーーーい
と叫びながら走り出す
奈良公園を横切り
ありがたい御姿を拝みに集う大衆(マス)をかきわけ
にこにこと手をふる君が夜ギツネになる瞬間
汗をふりまいておどる

ふるえるちんちん
しわくちゃのおふくろ
ほっかほっかのおまんじゅう

すべてが光のもとで根を這わせ
ひとりが黒い太陽に全裸で走る

まぼろしの川に飛び込むもよし
せんとくんを洗濯せんとくんもよし
駅前でビールを飲んでK察官にかんちょーきめるもあおによし
ああ きもちがええぞい
なあ きもちがええでい
寒い部屋から出る男はそう言って笑う





※『紫陽』19号(2009年9月)より。

2010年4月27日火曜日

ダダカン先生のこと

上海では愚かにも万博が繰り返され、ここ奈良では遷都1300年祭などという奇妙な国威発揚イベントがおこなわれていますが、今日、4/27はダダカン先生が1970年に大阪万博の心臓部、太陽の塔に全裸で突進してから40周年の記念日です。
ダダカンこと糸井貫二(いといかんじ)先生は1920年12月2日のお生まれなので、今年めでたく卒寿をお迎えになります。
ダダカン先生は日本におけるパフォーマンス・アート、メール・アートの草分け的存在で、故・向井孝氏との交友など戦後日本のアナキズム運動とも大変近い位置におられました。
先生のことはイルコモンズさんの「見よ、ぼくら四人称複数・イルコモンズの旗」(『現代思想』2002年2月号「特集:『帝国』を読む」)で初めて知り、その後、赤瀬川原平『反芸術アンパン』竹熊健太郎『篦棒な人々』(1998年,太田出版→現在は河出文庫版もある)、椹木野衣『戦争と万博』(2005年,美術出版社)などでますます尊敬の念を深めていきました。因みに椹木野衣『戦争と万博』は第七章をまるまるダダカン論に充てており、それまではマスコミからは思想的変質者として好奇の目で見られたり、美術史ではアウトサイダーとして不当にも評価されてこなかったダダカン先生を、日本の美術史上に初めて正確に位置づけたものとして大変意義深いものです。
そのような折も折、銀座と高円寺の二か所でダダカン先生の米寿をお祝いする回顧展「鬼放展」が開かれるという情報に接し、これは行かないと一生後悔すると思ったのでした。2008年9月のことです。(銀座がメイン会場で、高円寺会場では実際に路上パフォーマンスで使ったコスチュームなどを展示)銀座の会場で、展示物を一点一点へばりつくように眺めていた僕に、主催者の方(鳥水亭木呂さん・日本酒「越後鶴亀」の蔵元)が「今日はどちらから来られましたか?」とお声を掛けてくださいました。そこで「夜行バスに乗って奈良から来ました」と答えたところ、「インタビューさせていただけませんか?」とおっしゃったので快諾し、ダダカン先生への熱い想いを20分ばかり語りました。国家や資本の強大な力に立ち向かう勇気、それもペニス一本ぶらさげて、本当に本当の丸腰で立ち向かう姿の崇高さに魂を打たれたことなどを。
椹木野衣『戦争と万博』第七章「ダダカンと“目玉の男”」に詳述されていますが、ダダカン先生は戦争末期、鹿児島で対戦車自爆攻撃の部隊に所属していました。上陸するアメリカ軍との本土決戦に備え、来る日も来る日も爆弾抱えて戦車に飛び込む訓練をしている最中に終戦を迎えたということです。つまり特攻の生き残りというわけで、ここに戦後のダダカン・パフォーマンスの原点があることはまず間違いないでしょう。そんなダダカン先生のことを思いながら熱く語ったお陰で(?)、主催者の方がインタビューの録音テープをダダカン先生ご本人にお届けくださったのです。
そしてそれから数週間して、ダダカン先生ご本人からお手紙を頂戴するという大変な光栄に浴することができました。
以来、ダダカン先生との文通が続いています。僕らが出している詩誌『紫陽』をお送りすると「感銘を受けました」と大変気に入ってくださり、それに対してダダカン先生は昔の新聞『クロハタ』『虚無思想研究』など、貴重なアナキズム運動にまつわる資料を多数お送り下さいました。同志として接していただけることが大変嬉しくもあり、また恐縮極まることでもあります。恐縮極まるといえば、『紫陽』へのカンパまで頂戴
したこともありました(『紫陽』は黒字財政ですし、僅かばかりの年金から捻出されたカンパゆえ、のし袋に入ったまま大切に保管しております→有意義な使い道を思案中)。
もちろん、ポルノグラフィや広告を使ったコラージュ作品「ペーパーペニス」など、ダダカン先生との文通でしか手にすることのできない伝説的なメールアートも毎回封入されています。

昨年、体調を崩されて緊急入院されるなどご健康面に心配なところもありますが、ますますのエロスとご長寿をお祈りするばかりです。





ペーパーペニス(コラージュ)。これをめくると・・・。




新聞『クロハタ』1956年11月18日号。

2010年4月26日月曜日

松本哉「オツベルと象」(宮沢賢治の童話の挿絵)
















◆『紫陽』15号(2008年5月発行)より。

★『現代詩手帖』2008年8月号、久谷雉氏(中原中也賞詩人)による詩誌月評、
「作品の質は玉石混淆だが、そのこと自体がこの雑誌の主張になっているのが頼もしい。『米騒動90周年を記念し、マンデラ90歳を祝う企画』と称し、革命家松本哉によるイラストを添えた宮澤賢治の『オツベルと象』が掲載されている。酒ビンにまたがってくる象たちや、象に体重をかけられてつぶれるのではなく引き裂かれてしまう自動車の絵に、なんだか血が騒いだ。」(217頁)

「玉石混淆」という評言が余計ですが(笑)、松本哉の肩書きを「革命家」とさらりと書いているところはさすがです。

『紫陽』15号も大好評につき二、三ヶ月で完売しました。で、この松本哉「オツベルと象」挿絵だけを配布すべく抜刷にしたのですが、それももう手元にありません。




2010年4月24日土曜日

小熊秀雄「右手と左手」

       右手
なんて見下げ果てた奴じゃ
貴様はきのう百貨店で
そっとカワウソの襟巻に
さわって見たな
貧乏人のくせに
成り上がり根性を出したりして

       左手
わしはさわるにはさわったが
だが、わしの意志じゃなかった

       右手
誰の意志だ、

       左手
脳の命令だった

       右手
実にお前はけしからんぞ、
おれはいつも尻を拭っているんだぞ、
お前は労働を避けたがる
何一つ真先に働いたためしがあるか、
わしはペンで力いっぱい書く役だ
お前は紙の一端を
かるく押さえるきりじゃないか
いつもぶらぶらしているじゃないか、
プチブル野郎、

       左手
いつも一緒に暮らしている仲で
今更悪態とは酷いぞ

       右手
御主人にカワウソの
毛皮でも買って貰って
お前の小市民根性を暖めて貰え

       右手と左手
摑み合って喧嘩を始める

       口
両手共喧嘩をやめい、
きこえんのか
時計が十二時を打った。飯だ

       左手
みろ、右手俺が今度は
重い茶碗を持って
貴様が軽い箸をもつ番じゃな

       右手
そりゃそうだな
働く者同志の喧嘩はやめよう

       右手と左手
それにしても
こいつの口にせっせと
兵糧を運ぶわけか
口から尻の世話まで
俺達働く者の手にかかるのを
口の野郎も尻の野郎も
脳の野郎も
すべての命令者共は
忘れるな


(1936年2月)



◆『小熊秀雄全詩集』(1965年,思潮社)より。

この詩は岩波文庫版、現代詩文庫版ともに選詩集からは漏れているのですが、小熊秀雄に限らず選詩集に採録されなかった詩の中にこそいい詩が埋もれていると思うことが多い今日この頃です。

2010年4月23日金曜日

松本哉「詩」



松本哉「詩」(『紫陽』13号〔2007年9月〕所収)。


「革命家・松本哉の「詩」なるアジテーションは、見えにくくされてしまった、奪うものと奪われるものの関係こそが怒りの向かうべき方向であることを、重苦しい気分を吹き飛ばすやり方で明らかにした。だが読者の間には、この「詩」が詩でないとする意見も少数ながらあった。また松本哉本人も詩なのかどうかよく分かっていない様子だった。しかし編集人としてはこれは詩以外の何物でもない、とひとまずは言っておこう。なぜなら、本当に金持ちを袋叩きにするわけでもなければベンツを燃やすわけでもないからだ(むしろ金持ちは心にゆとりがあるのでいい人が多く、逆に貧乏人は心にゆとりがないという悲しい現実もある)。だが、これが詩であるのかないのかなどはどうでもよいことだともまた言えるのだ。松本哉の「詩」は情動を解放し、読んだ者の前には、怒りを言葉にすることで開かれた地平が確かに広がっているからである。これは、言葉に内在する革命的機能をスレートに表した好事例なのだ。 〈K〉」(『紫陽』14号〔2008年1月〕編集後記より)


★松本哉(まつもとはじめ)・・・1974年東京の下町生まれ。全日本貧乏学生総連合(全貧連)元委員長、貧乏人大反乱集団総帥、高円寺ニート組合代表、高円寺一揆、リサイクルショップ「素人の乱」5号店店長。「PSE法反対デモ」「家賃廃止要求モ」「俺の自転車を返せ!デモ(「迷惑」と称して自転車を撤去し返してもらうのに現金を要求する行政に批判するデモ)」などで芸術家たちから「デモをアートに変えた」と絶賛される。著書、メディア露出多数。永井荷風研究などで有名な作家・文学者の故・松本哉氏は実父(ただしこちらは筆名)。

詩的レトリックなど微塵もないのに凄まじい力をもつ松本哉の「詩」は、詩壇を揺るがしただけでなく、オルタ界ではすでに伝説化しています。しかし『紫陽』13号は好評につき発行から三ヶ月ほどで完売してしまったため、各方面から入手不可を残念がる声を多数いただいていました。なのでここで改めて紹介したというわけです。

2010年4月22日木曜日

雨宮処凛さんの新連載「小心者的幸福論」

ポプラ社のHP「ポプラビーチ」で4月から雨宮処凛さんの新連載「小心者的幸福論」が始まりました。内省的な論調なので、マガジン9条での連載とは対照的です。併せてご覧ください。
イラストは寮美千子さんの長篇『夢見る水の王国』の装画をされた、米増由香さんです。

4/27(火)~5/9(日) 「谷内薫作品展Ⅱ鏡花水月」のお知らせ

先日このブログで紹介した陶芸家・谷内薫さんの個展がもうすぐ始まります。
まとまった形で鑑賞できるこの機会にぜひ!   レビューはこちら




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 「谷内薫作品展Ⅱ鏡花水月」
4/27(火)~5/9(日) 10:00~19:30
京都文化博物館別館 アートン アートギャラリーにて
http://www.arton-kyoto.com/events.php

作家在廊日:4/27(火)、29(木)、5/1(土)、4(火)、5(水)
5/1(土)は16:00~、作家を囲んでのパーティがあるそうです。

2010年4月18日日曜日

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』より

私自身としては、こんな風に信じている――藝術の外貌がどうなるかといったことにはあまり氣をつかわないで、藝術の目的を理解しようと努めるならば、われわれは結局は欲するものを手に入れるようになるであろう、ということである。それは藝術という名で呼ばれるか、呼ばれないか、いずれにもせよ、それは少なくとも生命にみちたものである。




◆ウィリアム・モリス『民衆の芸術』(中橋一夫訳、1953年、岩波文庫〈原書1887〉)55頁。

2010年4月16日金曜日

ミロおじさんの言葉

ライヤール ランボーの《人生を変える》とマルクスの《世界を変革する》ということが一つの同じことを意味しなくてはならない、とあなたもブルトンのようにお考えですか?

ミロ ええ、まったくそのとおりです。私がいらだつのは、苦労して描いた絵がアメリカの億万長者のところに行ってしまうことです。いやですね。



◆ジョアン・ミロ/ジョルジュ・ライヤール『ミロとの対話』(朝吹由紀子訳,1978年,美術公論社[原書は1977年])より。 


《追記》4/20はミロおじさんの誕生日でした(1893年)。ジョアン・ミロが僕にとってなんでミロおじさんて呼び名なのかというと、小学校一年生の時の図工の教科書に「ミロおじさんと・・・・しよう」ってな単元があったのですが(・・・・は失念)、その印象がずっと残っているからなのです(小学校へは1979年4月に入学)。

ミロおじさんもいい顔してますが、隣のリオタールもいい顔してます(4/21はリオタールの命日〔1998年〕)。子ども好きつながりですね。

2010年4月14日水曜日

カオスから、あるいはカオスへと生成されるコスモス  ~「陶芸の提案2010」所感

4/12(月)の夕方、先日紹介したグループ展「陶芸の提案2010」に行ってきました。ほとんどの作家が1980年代前半生まれという若手ばかりの展覧会です。
この日は初日、ギャラリートークがあるとあって、出品された作家全員が在廊されていました。

すべての作品を心ゆくまで鑑賞することはできませんでしたが、限られた時間の中でも強く惹きつけられた作品がありましたので、ここに少し書き付けておきたいと思います。

(写真をクリックすると拡大)
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〈谷内薫さんの作品〉










今回展示された新作のタイトル「糸間Ⅰ(あいだ)」「糸間Ⅱ(あいだ)」は、糸偏(いとへん)に「間」という字を組み合わせたもので、作品のイメージに沿う漢字を任意で作ったとのこと。漢字は東アジア世界の様々な時代や地域において数多く作られ使われてきたものですが、イメージを媒介するものとして、オブジェとは親和性があります。大学で染色を専攻していたという谷内さんは、硬く、冷たく、重い素材である土を使って、糸のような、また糸偏で表される言葉のような軽い柔らかいものを表現しようとしたと言います。谷内さんの創作のテーマは、目には見えず形もないけれど確かにそこに存在しているモノやコトであり、繊細さと力強さをともに感じさせるマチエールに大きな特徴がある彼女の作品は、人と人とのつながりや共にあることの仲立ちになる何ものかの、極めて動的なメタファー(隠喩)であると思いました。それは、時間の中で絶えず生成変化し続ける世界内存在としての私たちが遺していった交わりの痕跡なのでしょうか。あるいは、作品を見る〈私〉と作家との交わりそのものであるのかもしれませんし、今これを書いている〈私〉と読んでいる〈あなた〉との交わりの喩であるのかもしれません。いずれにせよ、作家が敷設した作品への通路は無数にあり、まるで肌理のように刻まれた一つひとつの線がそれを象徴しているかのようです。
今回の作品は、強い磁場の存在を感じさせる撚り込まれた細長い穴の奥に、心や体が吸い込まれるような印象を受けました。







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〈甲田千晴さんの作品〉







森の命の輪廻を創作のテーマとしている甲田さんは、森を歩いていた時、羽化しようとして果たせずに死んだ蝉をみて感じ入ることがあったと言います。ですが、ここでの死は決してネガティブなものではありません。植物や昆虫が生まれ、生き、命を終え、亡骸は土に還り、堆積し、そしてまた新たな生命を育むのですから。
今回展示された作品「静観する抜殻」は樹木の幹のようなものの中から枯死した枝とも白骨化した動物ともとれるようなものが突出しているのですが、よくみるとそれは白化した昆虫の死骸のよう(甲田さんによるとこれはカブトムシだそうですが、異形の姿をしています)。樹木の幹のようなものは昆虫の蛹とイメージが重ねられており、そこに刻まれた筋の一本一本は年輪を思わせます。ドーナツのような形状は円環する時間の堆積、あるいは永遠回帰を意味しているのでしょうか。この作品は悠久の年月を重ねたものから新たな生命が生まれることを表現しているようです。しかし、その生まれ出ようとしているものがすでに死を表象していることの意味は重層的で複数的です。まさに殻を突き破り脱皮せんとする瞬間に溢れ出るエロスがそのまま凍結されたようにもみえます。生はつねに死を内包していることを、作家は熟知しているのでしょう。




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〈椹木みづほさんの作品〉





一見POPな印象の強い作品ですが、その意味は決して軽くも浅くもありません。羊は群れる動物ですが、弱くとも群れることで力になる、人もまた群れることで共にあることを実感し、そして時には情況を変革する力をも生みだします。作品「よ~ぅじれる」「め~きめぇき」で表されたよじれや傾きは外部からの強い圧力によるもの。しかし当の羊たちは安心感にみちた、思わず笑みがこぼれるようなユーモラスな表情をしています。笑いには、真面目くさった態度でこの世界を支配している者たちが押しつけた秩序を、脱臼させる力があることを思い出させてくれました。
これは、群れることの力、笑いの力、ひいては共にあることそれ自体を存在論的に肯定する作品であるといえるでしょう。



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オブジェとは空間に提示された構造物であるとともに、空間に投げ出された詩のようなもの。見ること、蝕知することによって心の襞に包み込んだり、心の角に引っかかったり、心が引き込まれたりする、イメージの媒体といえるものです。その場で即座に意味がわかるようなことはむしろ稀なことで、見る者としての〈私〉が浮かべるイメージと作品が発し迫ってくるイメージとの交歓により少しずつ意味が彫琢されていくものですが、そのように作品が作家と見る者との間で詩的に立ち回るような作品に僕は大きな魅力を感じます。

以上に評した三氏のほかはまだ十分に言語化できていませんが、花のモチーフから変成されるイメージが重ねあわされた元川知子さんの作品、背後にあるものと見る者との間に諺を掲示する山本朱さん、造形技術の高さを窺わせるマチエールに強力に惹きつけられる金理有さん高間智子さんの作品にはより深く鑑賞したいという欲求が掻き立てられました。
皆、自らの表現方法を固定したものとは考えていないようで、そこに壁や溝を自由に横断し越境していくしなやかさがありました。そしてそれぞれの作品はそれぞれに異質でありながら、空間を同じくすることで作品単体では決して現れようのないアウラが相乗的に湧き起こっていることに心地よさを感じます。
カオスから生成されるコスモス。あるいはカオスへと生成されるコスモス。
そんなことを思いめぐらしました。

この展覧会は大阪・西天満のギャラリー白にて4/24(土)まで開催されています。

2010年4月12日月曜日

3/7の記事「幸徳秋水『平民主義』を紹介するつもりが政治と芸術との本質的関係についての話に飛躍・・・」への2件のコメント。および谷川俊太郎の「詩」。

3/7の記事に2件のコメントをいただきましたのでこちらで紹介します。あわせて谷川俊太郎の「詩」も参考までに。


◆星人さんのコメント...

「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、慄然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の鬆(す)が立っています。有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrime(犯罪)ではない。ですが、これほど恥ずべきsin(原罪)はない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の“クソ”なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか?そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」
(辺見庸『しのびよる破局』09年、大月書店、113頁)

※ここで辺見庸が谷川俊太郎の愚劣な行為を指して使っている「クソ」という名詞は、反時代的な詩性を纏う「糞(うんこ)」とは何の関係もないし、藤井貞和がボロボロになりながら書いた「クソ詩」とも全く別のものだ。むしろそれは、<人びとを病むべく導きながら、健やかにと命じる>、資本主義のヴァーチャルな「クソ」であるだろう。臭くないことは言うまでもないが、だからこそ極めて恐ろしい。

2010年4月6日19:59


◆ほしのむらびとさんのコメント...

「詩人も受勲し褒章を受ける。シンボリックにいうと〈幸せな詩人たち〉、私はこの人たちがもっとも罪深いと思っています。〈幸せな詩人たち〉ほどひどい人間はいない。〈幸せな詩人たち〉はどこに人を殺すと書くこともなく、なにを悪辣な言葉で汚すこともなく、きいたふうな言葉で世界をきれいなものに装わせてしまう。まったく手を汚すことなく世間に同調し、あるいは安全なところで世間を支えさえするでしょう。これほど偽善的なことがあるでしょうか。」
(辺見庸『愛と痛み』2008年、毎日新聞社、74頁)

以前、敬愛する詩人から教えてもらったこの本、ものすごく大切なことが書かれています。詩の窟が再会したらぜひ取り上げたいと思います。

2010年4月8日12:41


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《参考資料》
日本生命「愛する人のために ~改札篇」(←YouTubeに飛びます)


愛する人のために
                  谷川俊太郎

保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます。
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。

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日本生命が自民党・公明党にこれまでにいくら献金したのか、その具体的な数値データは持ち合わせていませんが、自公政権が推し進めてきた健康保険制度の縮小には、契約を拡大して金儲けをしたい保険業界との利害の一致があることは周知のことですね。
金のないやつは病院に行くな、金のないやつは死ね、金が払えないのは自己責任、金を払って保険会社と契約しましょう、それこそが大切な人への愛情です、谷俊はそうおっしゃっているのでしょうか。谷俊は昔から詩人仲間にも批判されているわけですから、イノセントなわけでもないでしょう。
詩人として、これほど恥ずかしいことはない、と僕は思うのですが・・・。

2010年4月11日日曜日

「写真展を見て語る会 奈良少年刑務所と近代建築」の報告

昨日はならまち通信社とNPO法人J-heritage主催による表題のイベントに参加するため、奈良市北京終の町屋ゲストハウスならまちへ行きました。先日このブログで紹介した写真展では展示できなかった未公開写真344枚のスライドショーです。
講師は近代建築研究者で歌人の北夙川不可止さんとならまち通信社の松永洋介さん。北夙川さんは大学卒業後、冤罪で拘置所に3年、刑務所に2年服役した経験をおもちで、近代刑務所建築の解説者としては最適任者のようです(短歌は獄中で始めたとのこと)。講談師だか辻説法師だかを彷彿させる軽妙洒脱な語りでした。まさに噺家です。
松永さんは作家・寮美千子さんのお連れあいで、寮さんと一緒に奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」という童話・絵本・詩などのワークショップを取り入れた先進的更生プログラムの講師をされており、今回の写真展企画は奈良少年刑務所建築の美に触れた驚きを広く共有し、近代建築の保存・活用や刑務行政への関心を高めるきっかけにしようという志によるものです。
刑務所の写真撮影は上条道夫氏で、600枚ほど撮影した中から(警備上の理由などで)検閲を通過したものが約400枚だったとのこと。

まずは、北夙川さんによる日本における近代洋風建築の概説から始まりました。


取り壊しが決まった中之島のダイビル。1925年の建築で、ネオ・ロマネスク様式の素晴らしいビルでした。内部の写真もスライドで見ましたが、内装の一つ一つが見事な職人仕事です。惜しすぎる・・・。当然、所有者が申請すれば文化財登録できる逸品です。


どこのビルのものだったか失念しましたが、明治末~昭和初期にかけてのエレベーターにはこのような機械式の階層表示板がついていました。


これはダイビルのエレベーターだっけ?


奈良少年刑務所の監房を外からみたところ。


お堂のような建物は奈良少年刑務所が現在の位置に移転する前、現在の奈良女子大学の位置にあった旧奈良監獄の独房建築。資料として、敷地内に移築・保存されています。


受刑者が職業訓練をする理容室(左端の窓に赤白青のしましまがあります)。この理容室は事前に刑務所に申し込めば、一回900円で一般人も髪を切ってもらえるそうです。ただし、出来上がりに文句はいえませんが・・・。


本部棟の屋根裏。



教誨師がやって来て講話などをする部屋。左から神道、仏教、天理教です(創価学会のご本尊はありませんでした)。必要なところのカーテンだけを開けて使うそうで。右端の天理教の祭壇には「みかぐらうた」の文字が見えます。


独房の内部。壁の掲示板には検察からの天下りの巣窟・矯正協会のカレンダーが貼ってあります。




この奈良少年刑務所の赤レンガは受刑者たちが刑務作業で班を組んで焼成して積み上げたもので、色の違うレンガを使って模様をつくるなど、ところどころに芸術性の高い意匠がみられました。本当に丁寧な職人仕事です。

刑務所(監獄)とは国家権力が犯罪者を(冤罪も含めて)拘束する場所であり、監視することで監視されている者の心の内側に新たな監視者を生みだし、自ら規律に服従する従順な身体としての個人を作り出すもので、それは軍隊、学校、工場、など近代以降の資本主義における支配のモデルとなる装置です。哲学者ミッシェル・フーコーは著書『監獄の誕生』で、功利主義者のベンサムが考案したパノプティコン(一望監視システム)というシステムをモデルに、この監視による心身の規律化を理論的に解明しました。奈良少年刑務所ではそれが構造物として残っており、現役で使用されていることに特徴があります。

そのような施設である刑務所建築の美とはいったいどんなものなのか、いろいろと考える価値がありますが、それにはまず単純に、柔和で優美なネオ・ロマネスク様式の近代建築にたいする美的感覚というものがあるでしょう。関心を持つきっかけとしてはそれでいいのですが、それだけにはとどまりません。
受刑者自らがレンガを焼き、積み上げた一つ一つの作業の中にみられる、おどろくほど芸術的な意匠からは様々な意味がひき出せると思います。僕が思うに、奈良少年刑務所建築の美とは、受刑者たちが収容生活という制限された条件の中で実践した創造のよろこび、その中で発揮された創造性の美ではないのかと。人間が限界状況におかれた時にはじめて感知することのできる光、そしてその光の中で発揮された創造の力があったのではないかと、ヤスパースの哲学を思い出しながら考えをめぐらしました。
また、北夙川さんは以下のような主旨のことをおっしゃっていました。
「閉じ込められている境遇では美しいもの美しいことを、美しいと言えない心境になりがちだが、もしそこで美しいもの(こと)を美しいと感じる機会があるなら、そのとき赤レンガの建物は大きな意味をもってくるだろう」と。

奈良少年刑務所は未成年、および26歳未満で犯罪傾向の進んでいない(初犯)受刑者を収容する施設ですが、社会性涵養プログラムとしてワークショップを実践している寮さんと松永さんの話によると、子どもの頃に虐待を受けたり育児放棄されたりして心に大きなトラウマを持っている人が多いそうです。そのワークショップで受刑者たちが書いた詩を集めた詩集が5月に出るそうなので、大変楽しみですね。寮さんの日記「時の破片」には刑務所での授業のことが書かれています。

また、刑務行政の大きな問題としては受刑者の作業報奨金が著しく低いという問題があります。報奨金がどのように算出されるのかはよく分かりませんが、1ヶ月500円あまりから始まって出所間際でも1000円くらいしかないため、3年勤めた人でも出所時に支払われる報奨金はせいぜい3万円ほど。刑務所を出たところでそう簡単には仕事は見つからないわけですから、出所時の所持金などすぐに消えてしまいます。そうなると再犯にぐっと近づいてしまうでしょう。刑務作業で製作した物品は矯正協会(天下りの巣窟)によって販売されますが、その売上は年間100億円近くにもなります。ところが、その事業収益の大半が検察からの天下り官僚どもの給料・高額の退職金に消えています(因みに赤い羽根共同募金も大半が天下りどもの給料・退職金に消えます)。これを根本から是正しないと再犯はなくならないでしょう(元・大阪高検公安部長・三井環氏の話→『人民新聞』2010.3.15号所収)

いずれにせよ、近代国家の光と闇、その両面を窺い知ることができるというだけでなく、現代における重要な社会問題である犯罪や刑務行政について考える上でも大変貴重な文化遺産であることはまちがいありません。

保存、活用には大きな困難が伴いますが、刑務所を刑務所のままで保存し、社会に対して開いていけるような活用の仕方が理想なのではないかと僕は考えています。
そのためにはとにかく多くの人々の関心を集めて議論を喚起していく必要がありますね。

今回のイベントは大変意義深いものでした。



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功利主義者のジェレミー・ベンサムが18世紀末に考案したパノプティコン(一望監視システム)〔画像はwikipediaより〕。パノプティコンとはあくまで概念なので、ハイテクによる現在のハイパー監視社会では放射状の形状を採用する必要はありません。


奈良少年刑務所のパノプティコン。日本でパノプティコンが残されているのは確かここだけだったと思います。かつてパノプティコン構造を採用していた他の刑務所は全部建て替えられています。

2010年4月9日金曜日

陶芸の提案2010 (4/12~4/24 於、ギャラリー白)

注目している陶芸家の谷内薫(たにうちかおる)さんから、オブジェ焼きばかりの展覧会のお知らせが届きました。
大阪・西天満のギャラリー白での若手陶芸作家10名によるグループ展です。
カタログには出品作家一人ひとりの作品写真と、作家本人によるコメントが掲載されています。陶芸によるオブジェ制作には焼いてみなければわからない、という作家自身の主体的な企てを超えた偶然性が必然的に作品を媒介するわけですが、カタログを見ただけでもその魅力に大きな期待が膨らみます。
西天満には他にもギャラリーwks0ギャラリーeyesなど、現代アート専門の個性的なギャラリーがありますので、この機会にぜひ巡覧を。


陶芸の提案 ceramic proposition 2010   レビュー



一色智登世

奥野信生

金理有

甲田千晴

椹木みづほ

高間智子

谷内薫

増田敏也

元川知子

山本朱



2010.4.12(月)-4.24(土)

11:00a.m.-7:00p.m.

(土曜 5:00p.m.まで / 日曜 休廊)
 
初日(4/12)には6:00p.m.からギャラリートークがあるそうです。
 
ギャラリー白 ギャラリー白3
〒530-0047大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル2F3F
galleryhaku@art.email.ne.jp
アクセスマップ
 
 


2010年4月4日日曜日

2/6の記事「カール・ヤスパース『ニーチェ』」への多毛雑物さんのコメント ~三島憲一、ホルクハイマー/アドルノ批判。

2/6にアップした記事について、多毛雑物さんという方が4/1に長大なコメントを下さいました。哲学研究者、現代思想家には目を見開いてよ~く読んでいただきたい、実に重要な事実が書かれていますので、こちらに持ってきました。但し、強調のため一部フォントサイズを大きくしたり、意味を通りやすくするため〔〕で一部言葉を補った箇所があります。
多毛雑物さん、ありがとうございました。


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(以下、多毛雑物さんのコメント・・・)

「もっとも彼ら〔アドルノとホルクハイマー〕とニーチェの大きな相違も指摘しておかねばならないであろう。彼らは理性の自己批判、啓蒙の自己反省を行ったが、それは理性が本来めざしていたものに強く固執していたからである。それに対してニーチェは少なくとも晩年の激烈な道徳批判の中でそうした理性やその自己反省からあっさり降りてしまった面がある。美と認識の一致すらも放棄して支配者道徳を説いたようにもみえる。自分の本来のプログラムをどこかで誤解したところがある。


 この本来のプログラムを理解したのは後世でもごく少数の人々であった。ホルクハイマーとアドルノはその少数の人々に属している。特にホルクハイマーはドイツでの理解が権力主義的なそれか、実存主義的なそれに塗りつぶされていた戦前に、すでにニーチェのドイツ人批判が、社会主義批判が、道徳批判が、本当は何を意味するかを正確に理解していた。

 それを示すのがヤスパースのニーチェ研究への激烈な批判(1937年)である。彼はそこでこのニーチェ論をまずは、現実との葛藤をいっさい起こさずに人生と世界について考えることができるドイツの教授とそれを支える小市民性の典型であるとこきおろす。そして彼は、ニーチェの本来の意図は、人間が自然の認識によって自由になった世界にあって、それまでの歴史の中での姿とはまったく違った可能性を宿していること、その可能性は認識によって描きだしうるものであることを示そうとするものであったと指摘している。つまり、啓蒙の弁証法によって新たな抑圧が生じるのではない世界、その意味での超人の世界を夢見ていたということである。「ニーチェの目的は未来であった。この未来においては自然支配が極度にまで高まった結果、人間の規定し難いまでに大きな力が解放されるのである」。ニーチェは「地上における人間の可能性を、これまでのいかなるユートピア主義者もかなわぬほど熱狂的に評価していた」と彼は論じている。」


(三島憲一『ニーチェ』(岩波新書、1987年、214頁)


以下、『ニーチェの生活』→文庫①、『ニーチェの根本思想』→文庫②と記す。



さて、三島憲一の文章、こいつぁひどいね。ニーチェが「理性やその自己反省からあっさり降りてしまった面がある」だって?何を根拠にそんなことが言えるのだろうか。それにニーチェを正しく理解している人間〔ホルクハイマーとアドルノ〕が学派〔フランクフルト学派〕を作ったりするだろうか。ヤスパースは書いている

「凡そニーチェにおいて現われる教説で彼自らそれに服従するようなものは一つとしてない。彼はどんな教説でもそれを自己の自由にし、実際に他の教説によってそれと均衡を保持させる。権力への意志説はニーチェの究極的な形而上学ではなくして、彼の存在探求の全体内における一試みであるにすぎない」(文庫②317頁)



さて、ホルクハイマーのヤスパースに対する批判はどういうことだろう?すでに33年には大学の運営から閉め出されていたヤスパースが、ナチスに積極的に反対しなかったことをもって「現実との葛藤をいっさい起こさ」なかったと書いているのだろうか。だとすればそれは、あまりにも表層的な理解ではないか。たしかにヤスパースは沈黙を守った。だから英雄ではないし、生き残ったことに「負い目」がある。しかし、彼は常に不安の中でニーチェを読むことを呼びかけていた。

「吾々はニーチェにおいては、体系的可能性の経験と同時に、その崩壊の経験をもしなければならない。」(文庫①11頁)



さらに、36年という厳しい状況下で出版されたこのニーチェ論には、ナチス批判ともとれる箇所がある。

「純粋な正義というものは、積極的な感情におかれていて、あの正義の濫用のように反動的な感情にはおかれていない」(文庫②140頁)

「しかし大規模であると共に究極的には空虚なこの展望〔人間の未来の指導という展望〕は、再びニーチェにとっては、今日すでに何かこういったものが行われうるかも知れないということ、即ち何らかの決断がなされうるかも知れないということを意味しない。私が、神の如く超越することなくして、私の知に基づく方法によって全体者を手に入れようとする限り、私はまずこの全体者を認識しなければならない。でなければ私は単に破壊的な混乱を惹き起こすにすぎないだろう。(中略)何れの場合においても吾々はニーチェに従うわけにはゆかない。吾々が、ニーチェは極く簡単に受け取られるものを描いたのだと考えるなら、それは根源的に誤りであるだろう。大政治の分野においてこのことは、どこまでもニーチェはすべての人のためにではなく、特に≪新しい支配者≫のためにだけ思惟するという点において示されているのである」(文庫②253-254)



ちなみに、ヤスパースも未来について書いている。

「ニーチェが固執したものは、人間における可視的なものでもなければ、隠れているものでもない、それは人間によって人間を超えてあるところの未来のものである」(文庫②81頁)



ホルクハイマーとアドルノは、ここ読んだのか?



最後に、この大部なニーチェ論の中で、ほとんど唯一、正面からニーチェを批判した箇所があるので紹介しよう。



「権力意志の中には、自己自身に対して責任をとることを自覚しているところの自己存在―――自己の絶対性においてただ超越者にのみ関係する独自的な点、権力意志だとか権力の使用を必要としない愛しながらの闘争としての交わり(die Kommunitation als liebender Kampf)、本当に明るい、広い地平圏―――がもはや存在していない。」(文庫②316頁)



ただし初めに引用したように、この権力意志(最近ではドゥルーズの文脈もあって力能意志と訳されている)もニーチェにとってはひとつの過程でしかないことが指摘されているのだが。

安里健(ミゲル)「真摯な紳士」

あるとき一人の紳士が
銀行を訪れ
受付嬢にこう言った
おたくの銀行にお金を預けたいんですが
受付嬢は
どうも有り難うございます
と言った
紳士は
いえ 別にお礼を言われる程のことではないんです
と言った
すると受付嬢はまたもや
どうも有り難うございます
と言って
それでは と言いかけたときに
紳士もまたもや
いえ 別にお礼を言われる程のことではないんです
と言って
私のお金を預かって頂ければそれで
いいんですから
と言った
すると受付嬢は
ええ ですからこちらに記入して頂いて
それから と言って用紙を差し出そうとしたときに
紳士は
いえ だから私が言いたいのは
おたくの銀行に私のお金を預かって頂きたい
ということで つまり
いま私が預けようとしている一万円を
他人のお金とごっちゃにして大きな会社に
貸してしまったり
政治家や政党に貢いでしまったり
不動産屋とグルになって
土地転がしの資金にしたりせず
この一万円を
他ならぬ私個人に帰属するところの
私だけの大事なお金として
預かって頂きたいのです
ほらここに
私の名前が小さくはありますが
はっきりと記入してありますし
私の手帳にはこのように
この一万円札の通し番号も
ちゃんと控えてありますので
銀行は銀行で私の一万円札であることが一目で分かり
また私は私でその一万円札が私のものであることを
名前の位置や筆跡といった曖昧なものでなく
番号を見てすぐ確認できるのです
だから今度私がくるまでこの一万円を
しっかり預かってさえ下されば
それでいいのです
別に お礼を言われる程のことはないんです
と言った
その後も両者のやりとりは続いたが
やがてその銀行の
主任と称する男がやってきて
噛み潰した苦虫を喉につっかえてしまったように
なにやら説明し終わると
紳士はようやく
一万円札を財布にしまって
銀行を去って行ったのだった



安里健詩集『現代御伽噺』(1988年,潮流出版社)所収。 

安里健(ミゲル)「豚子(ぶたこ)とその主(あるじ)」

豚の豚子が豚小屋を
ある日とうとう
とび出した
豚子の意見はこうだった
人間なんかに食われてたまるか!

しかし主は許さなかった
あくまで豚子をおっかけた
主の意見はこうだった
豚がいなけりゃ
まんまが食えねえ!

主は必死でおいかけた
豚子も必死でにげまわり
やっとの思いで木に登った
これで安心
と思いきや
主が下でわめいてる

主のセリフはこうだった
豚子よ!
君は完全に包囲されている
けれど豚子は知っていた
主は木登りができないことを

ガキの時分は
わるガキどもに
むりやり木のうえ
登らされては
そのたびごとにおしっこを
ちびっていたということも

豚子のセリフはこうだった
あたいをつかまえたいんなら
登っておいで
さあ早く!
主はしかしくじけなかった
主は戦術をかえた

君は!
と主はきりだした
小屋にのこされている君のお母さんや
お父さんの気持ちを考えたことがあるのか
ふたりともきっと
泣いているにちがいない

悲しみのあまり
食事ものどを通らなかろう
夜も眠れなかろう
仲間たちだってどんなに心配していることか
さあ早く帰って
皆を安心させてやりなさい

主の情動戦術に
豚子はまんまとひっかかり
涙をポロポロながしつつ
スルスル木からおりたのでした

めでたし
めでたし

主は喜び
豚子を担ぎ
近所の人にふれまわった
我とともに喜べ
失せたる我が豚を
見出せり!

ところが豚子が
帰ってみると
小屋には豚っ子一匹
いなかった
主のいないそのすきに
全員遯走(とんそう)しちゃってた

カンカン照りの
昼さがり
豚子はゴトゴト荷馬車にゆられ
街の市場へいったとさ
主もゴトゴト列車にゆられ
街の工場へいったとさ

めでたくなし
めでたくなし


教訓1
豚もすかせば木からおりる

教訓2
あわてる主は貰いが少ない


*ルカによる福音書第十五章。


安里健詩集『詩的唯物論神髄』(2002年,スペース加耶)所収。

2010年4月3日土曜日

展覧会「絵画の庭 ~ゼロ年代日本の地平から」(於、国立国際美術館)

今日は夜勤明け、オフィスビルを出てとぼとぼと歩いていたらあまりに桜が美しく、空は青く、そしてスズメや鳩やカラスが活気づき、それを物陰から見つめる子猫が可愛かったので、コンビニでビールを買ってひとり花見をやりました。

桜も咲いて本格的に春を迎えると文化系イベントがにわかに活発化します。なので、どれに行こうか予定を立てるのも大変です。あちこちに関心が向くのはいいのですが、それなりに消化しているつもりでも、結局のところ自分にできることはといえば限られているので、目の前にあること、立ち会ったことに地道に向き合うことにしたいと思います。

さて、一昨日(4/1)は中之島の国立国際美術館で1月から開催されている展覧会「絵画の庭 ~ゼロ年代日本の地平から」を見に行きました(明日で会期は終わりです)。
90年代以降の現代美術は映像、写真、インスタレーションなど、多様なメディアの駆使による多様な表現方法が展開したのは周知のことですが、この展覧会は90年代~ゼロ年代に美術界で評価された代表的な作家の平面作品によって構成されたものでした。この時代を、その象徴的な作品によって俯瞰するという意味では大変面白い企画でした。図録もボール紙にタイトルを型押ししたシンプルなもので、分厚いのに値段が1600円、中味もなかなか丁寧な作りになっていました。図録の各作家の紹介頁に添えられた短評には、作家・作品評としてすぐれたものがいくつかあったので、お買い得感もありました。ショボイ批評も多数あったのですが・・・。
印象に残った作家は、会田誠、池田光弘、牧島武史、森千裕の諸氏でした。

その他の作家の作品にも目を引くものは少なくありませんでしたが、彼・彼女らが評価され始めた時期というのがリーマンショック以前のネオリベ・アートバブルの時期と重なる場合が多いため、表現としては多様な展開が見られるものの、ある種の共通したエートスを感じざるを得ないものも少なくありませんでした。ですが、それは表現者としての作家の問題であるというよりも、やはり評価する批評家・コレクターたち、そして彼彼女らを包摂する美術ジャーナリズムが感染している時代の《気分》によるものが大きいのではないか、と思いました。ゼロ年代に企画された似通った趣旨の展覧会図録(参考資料として閲覧できるようになっていた)や手元にある『美術手帖』の特集などでは、特定の作家に感心が集中するという現象が広くみられるのも特徴的です。
その他にもいろいろと考えさせられた展覧会でしたが、考えたことについてはまたその気になればここで発表したいと思います。
(個々の作品について感じたことは、図録を見ながら折に触れて反芻しつつ考えをまとめてゆくつもり)