2014年11月15日土曜日

野田万里子「ながれゆく」(はならぁと2014ぷらす,元星野美容室/郡山城下町)

 廃業後20年が経過した美容室をまるまるつかった展示。
鏡に、窓ガラスに、
ドローイングされた図像からは、美くしくありたいという願望や美しいものへの憧憬が湧き上がる様子が窺われる。
そうして、
その反照から、根源へとなにかが溯ってゆく感覚に見舞われる。

今回、野田さんは以下のようなテキストを会場で配布し、入り口ドアのガラスにも記している。

むかし、大学の時にお金が無くて画材も買えずにいました。
悩んでいるとお腹がすき、パンを買いにコンビニにゆきました。
コンビニでふと横を見ると、経済新聞が目にとまり、そこには
デフレだの、株価だのがまるで日本国中がその問題に直面している
かのように大きく書かれていました。
しかし私は思います。たとえデフレだろうが株価が乱高下しようが
私のサイフには200円しかないし、私は今お腹がすいているし。
私はその200円で経済新聞を購入し、家に持ち帰り
思い切りらくがきしました。(抜粋)

これはそのときの日経新聞(2007年11月15日付)になされたドローング作品。
90年代からうんざりするほど氾濫し、人々が踊らされてきた「規制緩和」「改革」なる言葉が、巨大資本の優遇と個人事業者の圧迫、その結果としての地方都市の衰退という現在に連なる問題を隠蔽的に象徴するものであることに思いが到る。都市が直面している問題は、人為によるものであって自然現象ではない。

これは地域型アートプロジェクトの開催が全国各地で要請されている現状の、大きな原因であることはもはやいうまでもないが、野田さんは巨大資本とは対極にある丸腰の表現者として、当時も今も、ずっと対峙しつづけている。
だが、それは存在論的な対峙であって、政治性や社会性をもったアートとして狙って制作されたものではない。

野田さんの日々の営みのなかで生み出されたものに、こうして応答することができる、そのことにこそ大きな意味があるのではないか。

何気なく落書きした女の子の影像を拡大し、新聞紙に鉛筆で描画した作品が、鏡に映る。
HANARART(はならぁと)2012・旧川本邸会場での野田さんの展示から、こだまするものに耳をすませてみたい。


◆奈良・町家の芸術祭 はならぁと2014 郡山城下町 2014.11.7-11.16

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