2014年11月15日土曜日

今村遼佑 「すます/見えてくるもの聞こえてくるもの」 (森山牧子キュレーション/はならぁと2014こあ,南大工町の家/郡山城下町)

玄関を入ってひとわたり部屋を見回したあと、最初に目を惹き付けた小さなオブジェ。

「夜の金木犀」。小さな電柱の足下に、敷き詰められた金木犀がかすかに薫る。

「ほとり」。積み重ねられた本の上に、とても小さな木馬が回転している。

かつて商店街に面したガソリンスタンドで働く人の家族寮として使われ、空き家になってからもかなりの年月が経過する「南大工町の家」。
その1階にひっそりと佇む小さなものたち・・・。

2階には家具も調度もなく、
襖も取り払われ、壁も畳も朽ちた二間続きの部屋に、
晩秋の風が吹き抜ける。
1階でみたような、作品らしい作品は一瞥したところ見当たらない。

しかし、南の間の中央には、「家と窓と木について イメージをこねくり回しながら、周回する。見えない木の根元のぐるりを巡るように。」と題された今村さんのテキストが印刷されたリーフレットが積まれ、一枚とって読むように勧められる。

この、「家と窓と木について」は14章からなる散文詩である。
これがフィクションなのか、そうでないのか、判別する手がかりは今のところ何もない。
読み始めてすぐ、畳の縁の何ヶ所からか、発光するものに気づいた。

気にせず読み進める。

(以下、いくつかのくだりを抄出)

「2
今年の梅雨が明けてしばらくした頃、アトリエの近所にあった大きな杉の木が、ある日突然なくなってしまっていた。その後しばらくは、その光景に強い違和感を覚えていたはずなのに、いつの間にか気づくとその不在感はしずかに立ち去っていた。大家のおじいさんが・・・(以下略)」

「5
その窓からは、中庭の大きな木が見えた。
ひとがいなくなってだいぶ経つという民家で、木は巡り続ける季節を告げてきたことだろう。
空白の中でこそ見えてくる色がある。」

「7
止まったままの柱時計を直そうかと文字盤を外してみたが、どうやら分解して洗浄しなくては直らないようだった。ゼンマイを巻いて振り子に重りを付けて揺らすと数十秒は動くが、やがて止まってしまう。(中略)・・・鐘の方はちゃんと動いて時刻の数だけ時を打ち、がらんどうな部屋に心地よく反響した。
庭では木漏れ日とともに、時間が落ち葉のように降り積もっている。

「8
古い照明が点滅を繰り返すように、長い過去をもった建物は、現在に過去が時折ちかちかと交錯する。その点滅は眩暈に似て、足裏の地面の感触を頼りなくさせる。」

「11
流れ続ける時間の中にあっては、動かない方が時間を感じられる。昔作った本の上に小さな回転木馬が回る作品が、あるギャラリーの中では、ほとんど止まって見えたのに、そこではむしろ速く見えた。(以下略)」

「12
夜の道路で曲がり角を曲がった拍子に金木犀の匂いにぶつかった。いつもよく通る道が不意に質感を変える。
(中略)匂いに関する記憶はいつも不確かなのに、何よりも記憶に直に触れたような気がすることがある。巡る季節の螺旋を・・・(以下略)」

「13
落とし穴から上空を見上げると、過去と未来が直線で・・・(以下略)」







敷居をまたぐ、
部屋を眺め回す、
そこにあるものをじっと見る、
階段を昇る、
部屋を眺め回す、
畳に腰を下ろす、
風にさらされる、
綴られた詩を読む、
頭をよぎるものに心身を任せる、
外の景色に見入る、
階段を降りる、
一度みたはずのものを、ふたたびじっと見る、
庭にさす光を感じる、
家を後にする、

そして今、一連の出来事を思い返す・・・


今村さんと森山さんが見せてくれたものは、「先端的な」と一般にいわれている現代美術を条件付けるものに対し、つねに異なる美学があることを示す、すぐれて詩的な実践である。


◆奈良・町家の芸術祭 はならぁと2014 郡山城下町 2014.11.7-11.16


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