最近の問題意識としてはシェリー、バイロンからワイルド、モリス、ショーにいたる系譜、それからシェリーの師であるゴドウィンに始まる西欧アナキズムとの関連を軸に、ユートピア/反ユートピア思想、シュルレアリスムまでを射程に入れ、折に触れてはそこはかとなく思いをめぐらすといった感じで、研究というほど大それたものではありません。
とりわけ、水難事故で早世したパーシー・ビッシュ・シェリーについては、ロマン派のなかでも別格だと思っているのですが、19世紀後半~20世紀の文学研究の歴史のなかでは彼があまりにもラディカルだったため多くの人がシェリーの文学を攻撃しています。なかでもT.S.エリオットによる感情的ともいえる批判は有名(『文芸批評論』・岩波文庫、エリオットには自らの実存をかけてでも否定したい、琴線に触れる何かがあったのでしょう)。
日本の英文学アカデミズムにおいても、シェリーをあまったるい理想主義の枠内に留めるような傾向が強く、シェリー研究者であっても本当は激しく魂を揺さぶられているであろうに、どうもその革命的な思想のポテンシャルを低く評価しようとする人がいます。自己規制をかけているとしか思えないような・・・。
アナキズム、無神論、ビーガン、ポリアモリー、などシェリーのラディカリズムには現代に繋がる様々な問題系の萌芽が窺えるのですが、シェリーの詩を「大気的」と評して絶賛したガストン・バシュラール(『空と夢』・邦訳は法政大学出版局)を手始めに、ベルクソン、ドゥルーズ=ガタリらの哲学を踏まえて読んでみると、その革命的な思想のアクチュアリティに驚くことでしょう。シャルル・フーリエもそうなのですがシェリーがあまりにもぶっとんでいたために、これまではその価値を掬いとるのに必要なコードを持ち合わせている人が極めて少なかったのではないかと思います。
そのシェリーの最高傑作は三十数種類もの詩形を駆使した劇詩『鎖を解かれたプロメテウス』(1820年・邦訳は岩波文庫)だと思っているのですが、1813年、二十歳のシェリーが書いた長編詩『クィーン・マッブ』も、その後の革命思想に与えた影響の大きさからして非常に興味深いものがあります。
訳書(高橋規矩訳,1972年,文化評論出版)より、少し引用してみましょう。
「あらゆるものが売買される。『天』の
光明さえ金次第。寛大な自然の愛の賜物(たまもの)、
大海の深淵に潜む極めて卑しむべき
微生物、われらが人生の目的全て、
人生そのものまでも、法律の認める
微々たる自由さえ、人間の友情、はたまた、
人間愛の衝動によって本能的に果たさるべき
義務でさえ、破廉恥なる利己心の建てし
公共市場におけるが如く、商いされる、―
かかる市場では利己心が、かような
各々の品々に己れの支配の印たる値を
付すのだ。愛までも売買される。一切の
悲哀の慰みまで耐え難き極みの苦悶の因に
変じ、老人は利己的な美女の厭うべき腕に
抱かれて震え、青年も腐敗せし衝動に
駆られて、商いという害毒が破滅に導く
恐怖に充ちたる人生を歩むべく
用意される。歓びなき肉欲が齎らせし
病毒は退治し難き九頭蛇の与える
劇痛で全ての人生をば苦しめるのだ。
(第五歌,訳書100頁)
『クィーン・マッブ』は、いわゆる作品としての「未熟さ」や社会的危険性を理由に出版当初から様々な非難が加えられてきたのですが、以上引用したくだりには、出現したばかりの資本主義に対する激烈な批判精神が反映されていることがわかります。文学的な評価とは別に、これがロバート・オーウェン主義者や後のマルクス主義者たちに大きな感銘を与えることになるわけです。
ですが、エリオットらが酷評する「未熟」といった文学的評価についても、再考の余地がいくらでもあると僕は思っています。
クィーン・マッブとはケルトの神話に出てくる妖精の女王メーブのこと。そのメーブが超越的な支配秩序に対し、愛に基づく内在的な力で対抗する物語になっているという点で、後の『鎖を解かれたプロメテウス』に繋がるものがすでに胚胎しています。このあたりが再評価の軸になりそうな気がしています。
シェリーについてはこれからも気が向いたら書いていくことにしましょう。
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しかし、古書価のこの高騰ぶりはなんなんだ? 去年は1500円で買えたのに・・・。
『クィーン・マッブ』ありがとう!
返信削除こないだオカバーで会ったポーリーヌさんはシェリーをはじめロマン派の研究をしていたそうだよ。今週も来るよ。
やあ、『クィーン・マッブ』は君への誕生日プレゼントの第二弾だよ。
返信削除奈良の古本屋・朝倉書店で安い値段で出ていたので買っといたのだよ。
ポーリーヌさんによろしく!