2010年5月23日日曜日

深夜の奈良で

昨夜はパブ・ウェンブリー・クラウンでサッカーUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦「インテル対バイエルン」を観るため、終電前に家を出て、奈良市街へ。
キックオフまでの時間はおでん屋・竹の館で潰すべく、やすらぎの道を南に歩いているとおでん屋近くのsample white roomでDJイベントに集まった若者がたむろしていたので寄っていくと奈良オルタ界のキーマンAくん(DJイベントの主催者)の姿が。そのままsample前で立ち話。先日、中田英寿が客としてsampleにやってきたとか、東大寺の二月堂で中田と出くわしたとか・・・。
その後おでん屋でまったりと過ごしていると、DJイベントに参加していた若者たちが大挙して店内に。皆、若い若い、チンピラみたいなのは見当たらず、いかにも健全な青年男女の群れでした。
ウェンブリー・クラウンでは20数人ほどの客たちとともに100インチの大画面で試合を観たのですが、ここも20代前半くらいの若者ばかりでした。みんなサッカー好きで、素晴らしいプレーがあると拍手やらどよめきやらがほとんど同じタイミングで湧き起こり、ときには「インテルはイタリア人がおらへんなあ」とか「みんな坊主頭やなあ」といった面白いつぶやきが聞こえてきたり・・・。
途中からsampleのAくんとイベントのDJくんも仲間に加わり、僕はマンチェスターの労働者が飲むというボディントンズというエールを飲みながら観戦しました。
部屋で一人で観るのとは違って、いろんなものが共有できるのは素晴らしいことです。
結果は2-0でインテルの勝ち。とてもハイレベルなゲームでした。

なんでも45年ぶりのヨーロッパチャンピオンなんだそうで。

帰宅後は余韻に浸りつつ、以前このブログでも紹介した小川光生『サッカーとイタリア人』(光文社新書)を読み返しながらインテル(インテルナツィオナーレ・ミラノ)の歴史をおさらい。
インテルの選手は南米とアフリカの選手が中心で、スタメンにイタリア人がいないばかりでなく、ヨーロッパ人すら少ないという異例のチームなのですが、1908年に国粋主義による外国人選手排斥の風潮に反対してACミランから分離する形で設立されたという歴史をたどってみると、その理由、このチームの理念などが少しわかるような気がしました。インターナショナリズム、という言葉を連想したりもして・・・。


ともあれ、深夜の奈良の若者文化、なかなか味わい深いものがあります。



パブを出たらもう朝。雨の中、餅飯殿(もちいどの)商店街を東に入った路地を鹿が歩いていました。猿沢池の方に向かっています。

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