2010年3月30日火曜日

ヴェルレーヌの誕生日


 今日、3/30は19世紀フランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの誕生日です(1844年)。ヴェルレーヌはアブサンという強いお酒にはまっちゃって中毒になった詩人ですが、ランボーと並んでその象徴主義はまったく古びていないのがすごいところです。因みに、かの有名なトルストイ先生はヴェルレーヌ、ボードレールが大嫌いだったようで、以下のように酷評しています。
「ヴェルレーヌの人生観は、いじけたふしだらと自分が倫理的に無気力だという意識とその無気力の救いとなる最も卑俗なカトリックの偶像崇拝とで出来上がっている」「こういう詩人が仕事をしている社会の芸術は、人生の本気で大切な仕事ではなくて、遊びに過ぎない。遊びはどんなものでも繰り返せば飽き飽きする。飽き飽きした遊びをまたできるようにするには、何とかして、それを新しいものにしなくてはならない。」と。
酷い言い様ですね。
でも、こうも言っています。
「ボードレールとヴェルレーヌは新しい形式を考え出した。その場合、それまでにまだ使われたことのない猥褻な詳しい書き方で芸術を新しいものにした。しかも上流階級の批評家も読者もこの二人を偉い作家だと認めている。こう考えないと、ボードレール、ヴェルレーヌばかりでなくすべてデカダン派の成功は説明がつかない。」と(河野与一訳『芸術とはなにか』岩波文庫)
歯切れ悪くも認めざるを得ない、といった感じですね。これはトルストイ先生が若かりし頃、放蕩の限りを尽くし、その後回心して高潔な思想に至り着いたという経歴からくる、なんとも落ち着けようのない複雑な感情のなせるものなのでしょうか。ともあれ、心の琴線に触れたことはたしかなのでしょうね。尊敬すべきトルストイ先生の人間的な、あまりに人間的な側面が窺えて微笑ましくもあります。
 
 ヴェルレーヌの隣、明日3/31はロブ・ストルクの命日です(2001年)。彼は60年代にオランダ・アムステルダムを席巻したアナキスト・レヴォリューション“PROVO”の中心的活動家でした。

2010年3月28日日曜日

【写真展】知られざる名建築 ~旧奈良監獄・奈良少年刑務所の美~

ならまち通信社の寮美千子さんと松永洋介さんが主催する写真展のお知らせです。監房建築は放射状に伸びるパノプティコン(一望監視システム)構造を採用しているところなどがよくわかります。
4/10(土)には関連イベントもあります(講師は歌誌『銀聲』を主宰する歌人で建築ライターでもある北夙川不可止さんと松永洋介さん)。

(以下は、ならまち通信社HPからの転載)


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日時:3月20日(土)~5月1日(土) 10:00~18:00 日・祝は休廊


場所:ナガノカメラワーク 京終画廊(奈良市中辻町80-8)電話0742-23-0306

アクセス:JR奈良・近鉄奈良から徒歩15分/市内循環バス「北京終町」下車すぐ/会場西側にコイン駐車場あり ⇒地図Google地図

料金:無料

内容:奈良に残された貴重な明治建築の知られざる姿を、多数の写真で紹介。

主催:ならまち通信社

撮影:上條道夫

協力:浅草染太郎、ナガノカメラワーク、上條道夫

後援:奈良県、奈良市、奈良県教育委員会、奈良市教育委員会 文化庁「関西元気文化圏」参加事業


奈良市般若寺町の奈良坂の丘にそびえる奈良少年刑務所は、今から102年前の明治41年、明治の五大監獄の一つ奈良監獄として竣工しました。大量の煉瓦は、当時の受刑者たちが焼いたもの。設計は司法省の山下啓次郎。その経緯は、孫であるジャズ・ピアニストの山下洋輔氏により詳しく調査され、同氏の小説『ドバラダ門』(新潮社、1990)に記されています。

明治政府は近代刑事制度の完備を欧米列強にアピールする目的を持っており、五大監獄はいずれも壮麗な建築となりました。しかし既に千葉・金沢・長崎・鹿児島では、完全に解体されたり、一部建物を残すのみ。明治建築の全容が保存されているのは唯一奈良だけです。

わが国の貴重な建築遺産ですが、現役の刑務所という施設の性質上、見学の機会はほとんどなく、文化財指定も受けていないため、その芸術性や文化遺産としての価値が周知されていません。(翌42年竣工の奈良女子大学記念館は国指定重要文化財)

ならまち通信社の松永洋介と寮美千子は、奈良少年刑務所で2007年に始まった先進的更生教育「社会性涵養プログラム」で受刑者向けの童話と詩の講座を担当しており、刑務所の中に入って、その建物の美しさに感銘を受けました。どうにかして広く一般にこの明治建築の実像を伝えたいと考えて、今回、撮影許可を申請し、プロカメラマンを東京から招いて、刑務所職員ですら目にすることがないという奥の奥まで、徹底的な撮影を行いました。

写真展では、高さ1.1m・長さ延べ13mの巨大プリントを使用したパノラマ感覚のユニークな展示を行います。遷都1300年の奈良で、わが国が誇る近代化遺産として、また地域のシンボルとして、奈良少年刑務所の建物の魅力を再発見していただければと存じます。

また、一般の方に刑務所に対する興味・関心をお持ちいただくことで、奈良少年刑務所と刑務行政への理解の一助となれば幸いです。

なお、3月22日には、旧奈良監獄設計者・山下啓次郎の孫である山下洋輔氏が奈良でライブ・コンサートを行います。3月18日には、全国の刑務所を撮り続けている写真家・外山ひとみ氏の写真展「PRISON 100年の時を刻む奈良少年刑務所」が東京で開幕します。

作家紹介:上條道夫
1948年斑鳩町生まれ。大阪に育つ。写真一筋47年。大手ファミリーレストランのメニュー写真や、各地の旅館の宣伝写真など、商業写真家として幅広く活躍。(株)KPS代表取締役。





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【関連イベント】

「写真展を見て語る会 奈良少年刑務所と近代建築」
日時:4月10日(土) 16:00~18:00
場所:町屋ゲストハウスならまち(奈良市北京終町30)電話0742-87-0522
アクセス:写真展会場から50メートル ⇒地図
料金:500円(会場費+菓子代)ならまちの名店「こたろう」の鯛焼き付き
参加:要予約 メールで事前申込み⇒webmaster@j-heritage.org(J-heritage前畑理事長)

定員:25名

内容:「知られざる名建築~旧奈良監獄・奈良少年刑務所の美~」関連企画。奈良少年刑務所の写真を、写真展に展示されていない分までスライドショーで投影し、見た感想を語り合う。近代建築のレクチャーも。

講師:北夙川不可止、松永洋介

主催:ならまち通信社、NPO法人J-heritage


奈良少年刑務所写真展のために本年2月に撮影した398点のうち、会場に展示されているのは54点。残りの344点も見たいという声に応え、スライドショーを見て、語り合う会を開催します。質疑応答や、近代建築の専門家・北夙川不可止氏によるレクチャーもあります。
貴重な機会です。ぜひご予約の上、ご参加ください。

2010年3月26日金曜日

ECHO TOUR 2010 のお知らせ

今、「ECHO TOUR 2010」というアートイベントが催されています。

詳しくは↓のサイトをご覧ください。
http://echotour.anewal.net/


場所:京都府庁旧本館

日時:2010年3月23日(火)〜4月4日(日)平日9時〜17時
27日(土)、28日(日)は9時〜19時

※全日程にわたり展示あり。土/日曜日にかけてパフォーマンスが入る。


参加アーティスト
今貂子+倚羅座、 小川剛、 奥田耕司、 黒川徹、 子供鉅人、 小松正史、 酒井稚恵、 吉田省念と三日月スープ、 谷内一光、 谷口正博+林ケイタ+呉鴻、 なおコロ、 Nabowa、 長谷川健一、 前川多仁、 松井省悟(空中ループ)、 宮原勇作、 884mm

主催:京都府、府庁旧本館利活用応援ネット
共催:ECHO TOUR振興委員会(ANEWAL Gallery、STUDIO SOARING BIRDS)、京都彫刻家協会

2010年3月25日木曜日

5/1~5/14  NDU+NDS作品上映のお知らせ

以下のようなイベントがあります。(知人から届いた案内をそのまま貼り付けました)

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NDU+NDS作品上映
「彷徨する魂を追う~NDUからNDSへ~」

――人として生きる権利を奪われた者、奪われた事実さえ無かったことにされようとする者達の、可視化されることのなかった姿が浮かび上がる――

――関西発、若手ドキュメンタリー集団登場。


大阪・西成を拠点とするNDSの旗揚げ上映!

大阪市・九条シネ・ヌーヴォにて一挙公開!!


このたび、ドキュメンタリー集団であるNDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)とNDS(中崎町ドキュメンタリー・スペース)は、両作品の上映会を行うことが決定いたしました。5月1日(土)から14日(金)の間、二週間かけて一挙作品上映を行います。新作二作品「空っ風~千里開発・RCの陰謀~」、そして「遺言なき自死からのメッセージ」の初のおひろめとなります!




*2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波正式招待作品「長居青春酔夢歌」(監督:佐藤零郎)

*ヒロシマ平和映画祭招待作品「中村のイヤギ」(監督:張領太)

*ゆふいん文化・記録映画祭上映作品「釜の住民票を返せ!」(監督:金稔万)などを含む前15作品一挙上映!!


NDSとは、大阪・西成を拠点とする若手ドキュメンタリー集団です。これまでわたしたちは、長居公園の強制執行や千里ニュータウン建替え問題にともなう強制執行といった、生存の場所を奪われる瞬間を記録し続けてきました。1970年代学生運動の現場から出現し、沖縄からアジアへと渡り流浪する人々の姿を撮り続けてきたNDUもまた、そうした生存の場を奪われようとする者、奪われた事実すらなかったことにしようとされる者たちの、可視化されなかった姿を映し出しています。

 最近ではデジタルビデオを使って誰でもドキュメンタリーをつくれるようになりましたが、わたしたちはかつてフィルムの時代に行われていた集団による制作過程を大事にしたいと思っています。それぞれ個人が内にこもっていくような現代社会の中で、ドキュメンタリーもまた自分の身の回りの出来事を追っかけるようになってきているように感じます。そんな中でわたしたちNDSは、フィルム時代に行われていた集団制作を行うことを通し、グループ内で議論や互いの作品の批評をしあうことによって、制作段階からより社会に開かれた表現をしていきたいと思っています。

 今回の上映会では、2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア部門において655作品の中から正式招待作品に選ばれた「長居青春酔夢歌」(監督:佐藤零郎)や、ヒロシマ平和映画祭招待作品である「中村のイヤギ」(監督:張領太)、ゆふいん文化・記録映画祭上映作品「釜の住民票を返せ!」(監督:金稔万)といった既に各地で上映がくり返されている作品群に加え、NDS初の集団制作である「空っ風~千里開発・RCの陰謀~」(監督:中村葉子)、そして梶井洋志監督による「遺言なき自死からのメッセージ(仮)」(NDS)の二作品初上映が決定、さらにNDUの諸作品や招待作品も含めた全15作品が一挙上映されます。


○会期:2010年5月1日〜2010年5月14日
○会場:シネ・ヌーヴォX
●前売り1回券800円、3回券2400円、フリーパス8000円
前売り券は劇場窓口、にて好評発売中!
● 当日:1000円

* 連日朝より当日分の整理番号付きの入場券の販売を開始します。ご入場は各回10〜15分前より整理番号順となりますので、前売り券 なども受付にて入場券とお引き換えください。各回完全入れ替え制となりますのでご注意ください。

■ 主催/NDS、シネ・ヌーヴォ
→シネ・ヌーヴォhttp://www.cinenouveau.com/
→NDSブログ http://karasunazenakuno.blog29.fc2.com/
→NDS HP(作成中) http://nakazakids.sakura.ne.jp/#

問い合わせ・連絡先
メール;nds-2010osaka@hotmail.co.jp


***上映作品***
――NDU――

「bastard on the border 幻の混民族共和国」
「アジアはひとつ」
「パレスチナ76-83 パレスチナ革命からわれわれが学んだもの」
「沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー」
「風ッ喰らい時逆しま」
「倭奴へ 在韓被爆者・無告の二十六年」
「鬼ッ子 闘う青年労働者の記録」


――NDS――
「中村のイヤギ」
「釜の住民票を返せ!」
「空っ風 ~千里開発・RCの陰謀~」
「(仮題)遺言なき自死からのメッセージ」
「長居青春酔夢歌」


――招待作品――
「雲の上」「空族」・富田克也監督
「FURUSATO 2009」「空族」
「へばの」木村文洋監督


<NDU・NDSについて>
NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)
NDUは、「早大150日間ストライキ」を担った早大中退者を中心に1968年に結成された。その映画づくりは小川プロ、土本典昭らと同時代にあって学生運動高揚期から長期にわたって闘争の現場を撮り続けてきた。その視線は学生運動とベトナム反戦でもりあがる新宿から、沖縄―台湾―朝鮮へと歩を進め、国境をまたいで流浪する労働者の姿を追い続け、“アジア”への視点を独特の地平から切り開いていったといえる。

NDS(中崎町ドキュメンタリー・スペース)
NDSは映画監督・原一男氏による「ドキュメンタリーする快楽」(2006年春~2007春)講座を受けていたメンバーの集まる場としてはじまった。講座終了後も、自分たちで製作途中の作品をともに批評し合いながら切磋琢磨してきた。中崎町にあったそんなスペースをいつしかNDSと呼ぶようになったのである。皆既存の枠に収まることを拒んだ者達だ。住居・人として生きる権利を奪われた者、奪われた事実さえ無かったことにされようとする者達の、可視化されることのなかった姿を浮かび上がらせようと、カメラを回す。現在、中崎町にあった事務所を西成区の釜ヶ崎に移し、劇映画を企画している。現在では珍しい若手ドキュメンタリー制作集団。

2010年3月23日火曜日

野村尚志「ビール瓶」

ビール瓶がいっぱい並んでいたんだ
並んでいるビール瓶だって叫びたいんだ
俺たちはビールのためにあるんじゃないぞ
俺たちはビールのためにあるんじゃないぞ
そうビール瓶が叫びたいんだ
ビール瓶が叫びたいんだ
誰だって何だって自分のためにありたいんだ
それがあるということじゃないか
俺はそう思う
あなたはそう
思わないか


◆野村尚志(のむらたかし)詩集『私の在処』(2009年,私家版)より


ぼくもそう思うよ。
石英やら炭酸ナトリウムやら石灰やらが自分の意思でビール瓶になったんじゃないもんね。
インスタントコーヒーやらクリープやらの空き瓶をさしおいて、貧乏人の食卓を飾る花瓶の座に憧れてなにが悪いんだい。たまには可憐な野の花の一輪を支える紳士になりたいもんさ。

ぼくの中の批評家ぶった理性よ、存在論だとか現象学だとかそんなごちゃごちゃしたことはどうでもいいんだよ。

だけどこの詩集をくれた野村尚志さんと、某MLにこの詩をテロ的に流してくれた竹村には感謝してるよ。

2010年3月21日日曜日

伊丹の町並みについての雑感

伊丹というところは、なんで駅前があんなに心地良いのか? 一晩寝て起きてふと思いました。
JR伊丹駅の北東方向にはダイヤモンドシティという巨大ショッピングセンターがあって、この辺はどこの街でもあるような光景。ただどこの街とも違うのは、ショッピングセンターの向こう側が伊丹空港で、飛行機がばんばん飛んでいるところでしょうか。でも、意外と離着陸の騒音は気にならず(住民の立場だとまた違うでしょうが…かつては壮絶な騒音公害反対闘争があったといいますから、随分改善されているのでしょう)。軍用機の、威圧感の強い騒音とは明らかに違うものでした。

それとは反対方向、JR伊丹駅の西側には伊丹の旧市街が広がっています。駅前で公園になっている有岡城は織田信長の家臣・荒木村重の居城でした。その村重は信長に背いたため1579年(天正7)に包囲、落城するのですが、その後はここに城が築かれることはありませんでした。
有岡城は「惣構え」といって、城下町を全て城の縄張りの中に取り込む、つまり土塁と濠で囲む築城方法が採用されたため、落城後も伊丹の都市区画は有岡城の縄張りの上にそのまま継承されました。つまりは要塞都市ですね。それが近世、酒造業で名を馳せた伊丹郷町になるというわけです。幕末の頃の古図でも土塁跡の樹木と濠跡の水路で区切られていることがよく見て取れました。

さて、JRの西側、有岡城跡公園を抜けるとすぐにAIホールという演劇ホール、ライブハウスがあります。それ以外にあるものは、いくつかの飲食店、コンビニ、いくつもの巨大マンションでした。そしてそこを抜けるとすぐに近世の町並みの面影を残すエリアに入ります。さらにそこを突きぬけていくと阪急の伊丹駅に行き着くのですが、旧市街をJRと阪急、二つの路線で挟み込むような形になっているというわけです。
駅前でのびのび寛いだりはしゃいだりしていた子どもやお年寄りは、ここの住人だったのかと気づきました。ぼくも以前からここに来ると必ずふらふら~っとした気分になるので、野外でビールを飲んで寛ぐことにしています(「伊丹なら日本酒やろ?」というつっこみが即座に脳裏をよぎるのですが、さすがに昼間から日本酒飲んで歩き回るのは抵抗があります)。

その旧市街を西に貫く道が充分な道幅のある歩行者専用道路になっていて、これが解放感を催す大きな秘訣なのではないかと思いました。

そこで日々の生活を営む人々と、観光やイベントのために非日常の憩いとして訪れる人々とがともに心地よくいられる場所になっているのは、都市計画者も含めて、ここに関わる様々な立場の人々
の間で、価値観が共有されているからなのでしょう。

歴史的文化遺産の活用というのは、実はとても困難な問題が絡みやすい取り組みなので、奈良のような失敗例は枚挙にいとまがないわけですが、伊丹は近世の建造物群を、住民の視点でうまく活用した都市計画になっているように見受けられました。
都市社会学的な視点で調査・研究してみると、いろいろなことがわかりそうですね。

伊丹には旧市街以外にも、行基さんが築造したという昆陽池などの史跡が多数ありますので、また機会あるごとに歩いてみたいと思います。

2010年3月20日土曜日

伊丹に行ってきました。

一つ前の投稿でお知らせした古楽のコンサート、面白かったです。

伊丹という場所、人口の少ない小さな市なのに文化政策を重視していることで有名で、それが関係あるのかどうかよくはわかりませんが、JR伊丹駅前は管理空間・監視空間という息苦しさがありません。駅前の有岡城跡公園ではとてもたくさんの子どもが元気に遊んでて、駅前にはヨーロッパのどこぞの姉妹都市から寄贈された鐘を収める鐘楼があり、その前では多くの人がタバコをすいながら寛いでました。
伊丹市立美術館がシブイ展覧会を時々やるので、たまに来る伊丹の雰囲気は以前から好きだったのですが、今日はとてもあたたかくて天気もよかったのでビールをいただきました。

さて、コンサートの会場は1627年(延宝2年)に建てられた旧岡田家酒蔵。


外観はこんな感じです。ファサードは店舗部分で、奥に酒蔵があります。伊丹は灘五郷の一つで、白雪(小西酒造・1550年創業)など最古級の日本酒銘柄で有名です。で、この酒蔵で造られたお酒はどんな銘柄だったのでしょう? 


建物の内部は酒造の資料館になっていましたが、時間がなかったのでなんて銘柄だったのかは確認できませんでした。


コンサート会場の酒蔵です。この場所の放つアウラがすごい。


開演前のチューニング風景。予めチューニングはしているはずなのですが、古楽器の弦は羊の腸で出来ているためとてもデリケートなのだそうで、湿気などですぐに狂ってしまうとのこと。


一部の演奏が終わって15分間の休憩時間中もチューニングをしていらっしゃいます。少し演奏するだけでも狂ってしまうようですが、当時もこんな感じだったのだろうとおっしゃっていました。


皆さん、すごい衣装を着てらっしゃったので、第二部の演奏開始直前にパシャッと一枚撮らせていただきました。
この直後に演奏されたジャン=バプティス・リュリの「バレ《戯言》」は1659年にルイ14世に献上された楽曲で、宮廷の晩餐会場で延々演奏されたものだそうです。今回は時間が限られているため泣く泣く削って短くしたとのことですが、器楽、声楽、舞踊による20曲編成でした(今回は舞踊はなし・ルイ14世本人も激しく踊ってたそうで)。
リーダー格の坂本卓也さん(ヴァイオリン)によると、おそらく日本初演だろうと。

終演後、坂本さんのヴァイオリンの弦と、四戸さんのコントラバスの弦を触らせてもらいました。
とくにコントラバスの太い弦の触感は弱粘着質?とでもいえばいいのか、粘りのある感じでした。

なにせぼくは素人なので、音楽批評めいたことは書けるわけがないのですが、酒蔵という空間の放つアウラと古楽器が奏でる音色とが共鳴しあう場所での、白昼夢のような素晴らしい二時間に酔い痴れました。




2010年3月19日金曜日

「瑠璃色の戯言(るりいろのざれごと)~古楽器による西洋音楽の調べ」

直前のお知らせになりますが、3/20(土)に表題のようなコンサートに行ってきます。
まだ音楽は一部特権階級の独占物であったフランス・ルイ14世時代の宮廷音楽を古楽器によって再現するもので、コントラバス奏者の四戸さんによると弦をプレーンガット(羊の腸をなめしてねじったもの→とても高価!)に張り替えての本格的なものです。
ルイ14世といえば治世の後半期はヨーロッパ中で戦争ばっかりしていた絶対君主でしたが、前半期は文化・芸術の振興政策に力を入れた人物でした(ルイ14世本人も演劇や舞踏をやってた→バレエの起源はこのころだっけ?)。そのお陰で(?)さまざまな分野で多くの革新があったようです。迷信に篤い主治医によって歯を全部抜かれた歯抜けの君主だった彼は、背の低さから来るコンプレックスなどでハイヒールや帽子にこだわっていた(己をでかく見せるため)らしいのですが、ファッションにおいても大きな革新をもたらしたというのは面白いですね。
その時代の民衆の苦悩たるや、想像を絶するものだったでありましょうが、実は貴族たちも社交場の作法や慣行が絶対的な掟として定められていたため(民衆とは異質の)大変なストレスの中で暮らしていたようで、義理ごとや見栄っ張りで破産する者も少なくなかったようです(昔読んだノルベルト・エリアス『宮廷社会』〔法政大学出版局〕に詳しい)。そんなルイ14世時代にできた社会の様々なひずみがやがて訪れるフランス革命の伏線になっていくわけですね。
その貴族たちが享受した音楽を、じっくりと楽しみたいと思います。


会場はほぼ同じ時代に建てられた、現存する日本最古の酒蔵建築である伊丹市の旧岡田家(阪急伊丹駅から東に徒歩7分・JR伊丹駅から西に徒歩7分)。



《以下はこのイベントのサイトからの部分コピー》


るりいろのざれごと
瑠璃色の戯言
 ~ 古楽器による西洋音楽の調べ ~

2010年3月20日(土)

15時開演(14時30分開場)

伊丹市郷町館・旧岡田家住宅にて

出演: レ・リュリャーズ

北爪かおり、鈴木芳 (ソプラノ)
坂本卓也、駒木愛弓 (ヴァイオリン)
城坂さおり (ヴィオラ・ダ・ガンバ)
四戸香那 (コントラバス)
小出智子 (リュート)

当日 \2,500 / 前売 \2,000

ご予約・お問い合わせは こちら までどうぞ。

主催: 伊丹市立伊丹郷町館[(財)伊丹市文化振興財団・伊丹市]
2010 早春花のフェスティバル ~三軒寺前広場・郷町の花まつり~
関西元気文化圏参加事業
後援: 同志社女子大学音楽学会≪頌啓会≫
企画: うさゆづる企画





●演奏曲目
フランス・ブルボン朝の栄華を極めたルイ14世の寵愛をうけた音楽家リュリによって書かれ、王みずからも踊り演じたバレ《戯言》をはじめ、同じくルイ14世の宮廷で活躍したヴィオール(=ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者マレによるヴィオールのための組曲、リュリに学んだヴァイオリン奏者ルベルによる2つのヴァイオリンのためのソナタ、ヴェルサイユ宮殿礼拝堂のオルガニストであったクープランによる宗教歌曲を演奏します。


J.-F.ルベル 2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ第1番 イ長調

M.マレ ヴィオール曲集第5巻より、組曲イ長調

F.クープラン 聖水曜日のためのルソン・ド・テネブル

J.-B.リュリ バレ《戯言》



Jean-Ferry Rebel - 1ere sonate à III parties avec la basse continue en La majeur

Marin Marais - Suite en la majeur(Pièces de Viole du Cinquième Livre, 1725)

François Couperin - Pour le Mercredy Troisième Leçon à deux voix en Ré majeur

Jean-Baptiste Lully - Ballet de la Raillerie, LWV11

究極Q太郎「名もなく、貧しく、美しく」

思惟をねるのは
なにも思索家だけの特権じゃない
だから、おれたち大衆はどこでも
どんなつまらないものからも
適切な意味を汲み取る。
どれだけ
わけわからなくても
体をなしてなくとも
ろくでもないことでも
頭痛がしても。

男の子たちハゲチンをふせげ
女の子たちデブチンをさまたげ
がっちょんあんちょってなに語?
一丁、人類全体の
課題について考量しよう。

どうしたら卑しい心をなくすることができるだろう。
どうしたら出来心でなにかをしでかす前に
そいつをくいとめることができるだろう。

こうりょうしてみな、かわいい娘。

こうりょうしてみな、
かわいい娘、種の頭脳で。

どうしたら心のやましさをもたずに生きられよう。
どうしたら蚊のうなりのようなあの音をとめられるだろう。
不浄なことをやめられるだろう。
下手物を駆逐できるだろう。

かわいい娘の手にはあまる。
いやいや、そんなことはない。
それは恒久的人類全体の
手にあまるような課題なのである。

ところでさ、
かわいい娘、おれと
つきあって欲しい。
いいわ、
よろこんで
おつきあいしましょう。

と、いうわけでおれたちは
つきあうことになった。
やがて子もできた。



※『ラブ、アイリス、そしてライフ』(1998年,私家版)より。

2010年3月16日火曜日

究極Q太郎「不奇妙な果実」

 「奇妙なことに・・・」という書き出しで始まる文章がある。
 おれはそういうやつが大嫌いだ。だからおれは、歌うんだ。


不奇妙な果実
をぼくは一つだけ
いただくことにしよう


ラップにはつつま
ないでおくれ環境
ホルモンが心配


ぴ、きょん
ぴ、きょん
ぴ、きょん
ぴ、きょん


不奇妙な果実を
ぼくは一つだけ
いただくことにしよう


かわいそうなきみの
営業成績に梃(てこ)
入れしてあげよう





※『ラブ、アイリス、そしてライフ』(1998,私家版)より。

この詩には究極さん自身が曲をつけていて、音源は『3K sampler l.p.#1  Japan Tour2000-2005』というプリシラ・レーベルから出ている3K(究極Q太郎、カワグチタケシ、小森岳史によるユニット)の朗読ライブCDに入っています。
そのCDはとってもお気に入りで、「ぴきょん、ぴきょぉ~~~~ん」という究極さんの歌声が耳にこびりついて幻聴のように無限反復されることがあるのですが、最近、この謎の詩の意味が少しだけ分かったような気になりました。

2010年3月7日日曜日

顔!

先ほど、げんなりした時には古今の思想家・活動家たちの顔を思い出す・・・ってなことを書きましたが、実はうちにAUTONOMEDIA CALENDAR of JUBILEE SAINTS 2008というカレンダーがあります。
これはAUTONOMEDIAというドゥルーズ=ガタリの英訳などを出しているニューヨークの出版社が出しているもので、代表のジム・フレミングさんが2008年の6月に反G8で来日した際に集会の会場で買った物です。カレンダーにはその日にゆかり(大抵、誕生日)の人物の肖像が配されていて、あまりに素晴らしいので、年がかわってカレンダーとしての命脈がつきてもぼくの書斎のパソコンラックの左の壁で耀きつづけています。それで、元気がないときには顔を眺めてすごすというわけ(顔の現象学への関心か?というとそれだけでもない・・・)。よく知らない人も沢山いるので大変勉強になります(男ばっかりですが・・・)。



12月4日のハーバート・リード。伊達男ですね。その二つとなりは日本のアナキスト、山鹿泰治です。


12月20日はアイルランド革命の闘志、モード・ゴン。“炎の美女革命家”と称されることもあります。彼女はアムネスティ・インターナショナルの創設者にして草創期IRAの活動家であるショーン・マクブライドの母親。詩人W・B・イェイツが50年間恋いこがれたマドンナです。


12月28日はギー・ドゥボールの誕生日です。


10月8日はジャック・デリダ。その隣にジョン・レノン、シャルル・フーリエが続きます。壮観ですね。その右上、10月4日には辻潤の姿がみえます。


10月15日はニーチェ、16日はオスカー・ワイルドの誕生日です。二人ともかっこいい。
17日はサン=シモン(すごい鼻!)。フーリエともども、「空想的社会主義」と呼ばれた思想家たちの再評価は、これからです。

10月19日は魯迅。20日はランボー。


8月4日は我が心の友、パーシー・シェリー。その隣、5日はエンゲルス。その下、12日はウィリアム・ブレイクです。


いやあ、ほんと皆さん、大した面構えですねぇ。他にも有名人がたくさんでているのですが、この辺で失礼します。

幸徳秋水『平民主義』を紹介するつもりが政治と芸術との本質的関係についての話に飛躍(ボヤキ)。そういえば今年は大逆事件から100年だ!

我等平民が其主張要求を貫徹せしむる所以の武器は何物ぞ(中略)

何ぞ夫れ然らん、民は実に有力なる武器を有す、何ぞや曰く、「多数」! 五指の、交々弾かんよりは一拳の撲つに如かざる也、一人の罷工は侮辱を以て目送せらる、多数の同盟罷工は恐怖を以て敬憚せらる
多数は勢力也、多数の要求する所古来聴かれざるなし、我等唯だ多数の勢力を要して要求すべし、(以下略)
 
 
幸徳秋水『平民主義』(平民社資料センター監修『平民社百年コレクション第1巻 幸徳秋水』所収,2002,論創社[原書初版1907年])より。(『平民主義』は文庫化されてない(涙)。この本、高すぎて人に勧められん!中公バックス『日本の名著・幸徳秋水』には口語訳が入っているけど、これも今や入手困難)
 
 
幸徳秋水、実は長年愛読していまして、その中でも彼の思想の核心をなす『平民主義』が一番好きですね。七年前、菊池菊之助さんらと『〈帝国〉』の読書会をやってた時に『現代思想』編集長のイケガミさんがご臨席されたことがあり、ネグリさんやハートくんが云うところの〈マルチチュード〉に近いことを考えた人はかつての日本にいたか?ということが話題になりました。その場では思い出せなかったのですが、その後、幸徳は案外近いんじゃないの?とか思って探して見つけたのがこのくだりです。
(※マルチチュードとは、多数性、多数的なもの、複数的なものをという意味で、国家や資本による政治的決定の独占に身を任せることなく自律的に行動する人々の群れ、その総称、とひとまずは言っておいて差し支えないと思います。ですが、定義しようとするといつもすり抜けてしまうような流動的なものです。)
 
最近、『現代詩手帖』などの詩壇誌では人が群れてなにかすることを冷笑してこき下ろす文章を、批評の名において平気で書く人が多くて腹が立つのですが、そんな文章に惹きつけられる人がいるのだから始末に負えません。
 
そこでは政治と芸術は截然と区別できる、区別すべきものである、ということが無邪気に信じられているようです。しかし、芸術であれなんであれ、人が他者に差し向けてなにかを発表するとき、共感であったり反感であったり、なんらかの感性的な反応があるわけですが、そのような巻き込まれの中において不可避的に発生するのが政治です。なぜなら、そこでは実践へと動機づけられるにせよ、考えるだけですますにせよ、なにもしないにせよ、他者との関係において必ず何らかの機制が働くからです。
要するにだれもが政治的であるということからは免れないということです(「政治と芸術は区別すべきだ」という命題が、すでに政治的)。すると政治と芸術との関係は本質的なものである、というランシエールの思想がある真理を開いているのは間違いありません(『不和あるいは了解なき了解』『感性的なもののパルタージュ』 など)。
政治と芸術を区別できる、と無邪気に考える論者たちが、詩人の純粋な感性を結晶化した詩集をえらそうな態度で裁断するとき、そのような態度を可能にする体制(ランシエールなら美学的体制という)を自明の前提としているわけですが、その自覚があるのかないのか、それすら怪しく思えます(たぶんないでしょうねぇ)。彼らの主体の形而上学は何によって基礎付けられているのか、当人たちにお聞きしてみたいところですね。
 政治と芸術との関係において、真に問題にすべきなのはその芸術がイデオロギーなりなんなりといった予定調和的なもの、超越的なものに回収されていないかどうか、ということでしょう。ですが、それであっても、創作の動機としての純粋な情動の発露、までをも否定することなどできません(せいぜいのところ、それは芸術の評価に関わるだけの話)。
僕らがやっている詩誌『紫陽』では16号で湾岸戦争詩論争での藤井貞和の立場を肯定する特集を組んだり、編集後記でこれまで何度もこのテーマについて書いてきたりしたのですが、『現代詩手帖』では評者が『紫陽』に掲載した作品を紹介することはあっても、このテーマが正面から取り上げられたことはただの一度もありません。これだと向き合えないなにかがあるのだろう、と勘ぐらざるを得ませんね。
因みに『紫陽』16号の藤井貞和特集と真摯に向かい合ってくれたのは、あれほど駄目だダメだ、ダサイださいと詩人たちからコケにされた『びーぐる』(詩誌時評の細見和之氏、詩論時評の阿毛久芳氏)だけで、『現代詩手帖』は『紫陽』がこんな特集やってますという紹介のみで内容に言及せず(評者は久谷雉氏→しかし久谷氏は『紫陽』を2008年の詩誌ベスト5のうち3位にランキングしてくれた。彼はおくゆかしい男である)。『詩と思想』は完全無視しただけでなく、藤井貞和さんが湾岸戦争詩論争で受けた傷跡がまだ癒えていないこと窺わせる痛ましい著書『言葉と戦争』(大月書店)を持ち上げる特集まで組んでしまう始末。
 
しかし、その程度の批評レベルでまかりとおってしまうところにも、一般の人文書読者から現代詩や『現代詩手帖』が軽視される理由があるのでしょう。現代美術の世界ですら再び政治と芸術の関係が重要な課題として浮上する気配が漂っているのに・・・。
 
群れの話に戻します(すいません)。群れになるのが苦手(現代詩人、とかね)だったり個人的に嫌いだったりするのは仕方ないとしても、それに居直って「マルチチュードという言葉はすごく嫌いです。マルチチュードよりソリチュードだよ(笑)」(『詩手帖』09年11月号における佐々木敦氏の言葉)などと批評の場でダジャレ未満をかましながら乙にすまされると、こりゃもうげんなりするしかありません。こうなると、自我の超越性という新しくも何ともない問題に阻まれて話がそこで終わってしまいますからね。マルチチュードって言葉を発明した人の問題でも、それを道具にして活動する人の問題でも何でもなくって、そりゃああんたの心の問題だよ!佐々木さん、ってつっこみたいのですが・・・。

そうやってげんなりしたときは古今の思想家・活動家たちの顔(肖像画・肖像写真)を思い出したり、名著をひもといたり、同志に電話してだべるに限ります。
究極Q太郎さんもドゥルーズ=ガタリをひきながら「群れになるべし」(『現代思想』97年5月号「ストリート・カルチャー」)と言ってましたね。

幸徳の話から随分飛躍してしまいました。

政治と芸術との関係については、いつでもどこでも何度でも、機会あるごとにしつこく発言する必要があるので、改めてちゃんとしたものを書きます。

なのでこの記事に対するクレームはご遠慮ください。
どうしてもいいたいことがある人は、このブログのプロフィールページにリンクされているメルアドにメールをどうぞ。直接やりとりしましょう。

2010年3月6日土曜日

川端康成原作・衣笠貞之助監督『狂った一頁』上映会&山下洋輔ライブのお知らせ

来る3/22(月・祝)18:00より、奈良100年会館・中ホールにて表題のようなイベントがあります。
奈良前衛映画祭・アートシネマフェスタ2010のプレイベントとして開催されるもので、山下洋輔のライブがあるので入場料が5000円もするのですが、時間とお金の都合がつく方にはぜひお薦めしたいです。僕は『狂った一頁』を12月の上映会(金子遊監督『ぬばたまの宇宙の闇で』と同時上映)で観たので当日は欠席しますが・・・。無声映画なので3/22は活動弁士付きの上映になるようです(弁士つきがいいのかどうかは意見の分かれるところでしょう)。 司会進行役は奈良ファッション界の新鋭モデル・南舞さんです。

さて、映画『狂った一頁』は1926年の作品で日本最初の前衛映画といわれていますが、そのフィルムはその後長らく行方がわからなくなっていました。それが1971年に偶然、米櫃の中からカビだらけのほとんど腐った状態で見つかったそうです。クリーニングして復元されたフィルムはその年、東京やパリ、ロンドンなどで上映されたそうですが、それ以後は昨年の12月まで公式上映された記録のない、大変貴重な映画です。

川端康成はこの映画のために脚本を書き下ろしました。
その脚本テキストは37巻本『川端康成全集』の2巻(1980年,新潮社→中規模以上の図書館になら大抵ある)に収められていますが、実際に映画化された作品とは内容に若干の異同があります。衣笠貞之助監督をはじめ複数の作家が制作に関わったため、川端以外の人々の意見の反映や、制作過程での即興的要素も入っているのでしょうか。
そのようなテキストと映像との異同に着目するのも面白いかもしれません。
因みに、この映画の撮影時のエピソード(小道具として使われたお面の調達にまつわる話)を川端が掌編小説にしたものに「笑わぬ男」というのがありますが(『掌の小説』1971年,新潮文庫)、当時の撮影の様子や世相・風俗が窺える興味深い作品です。

撮影機材や技術が現在のように確立されていない時代の映画とは思えないほどのクオリティにまず驚かされるのですが、それ以上に詩的な情趣の深さ、その潜在的な力に強く惹きつけられます。生身の体と、ローテクゆえに感覚器官と相性のいい道具を使った創造的工夫、そして作家たちの詩的感性とが織りなされることでなしえた映像美なのでしょう。
いまこの映画を観るということはマスコミが大衆に流布した川端のイメージ(あるいはイメージなきイメージ)を一新するきっかけにもなりうるのではないかと思っています。岡本太郎といい、川端康成といい、この国のジャーナリズムは都合よく人物イメージを操作し、その思想のエッセンスを伝えてこなかったわけですが、今も情勢は基本的に何ら変わっていないわけですから。 ある人物を神聖化するのも戯画化するのも、実は同じことの表裏でしかないように思います。
「異形の者」たちに寄り添った作家としての川端康成はこれからいくらでも読み直しが可能なので、現代思想としての川端批評に期待したいところですが、今や文芸批評になにかを期待するのはほとんどナンセンスですね(笑)。自前でなにかやってやろうか、という気になりました(ほんとか!?)。




※写真は川端康成「狂った一頁」脚本の冒頭部分(37巻本全集第2巻所収・新潮社)。19巻本全集には入っていないのでご注意を。

(以下は奈良前衛映画祭HPからのコピペです)


《製作概要》
監督:衣笠貞之助 
製作:新感覚派映画連盟 
原作・脚本:川端康成 
撮影:杉山公平 
撮影助手:円谷英一(英二) 
舞台装置:林華作、尾崎千葉 
出演:井上正夫、中川芳江、飯島綾子、根本弘、関操、南栄子、高勢実、高松恭助、坪井哲
製作:1926年日本映画  上映時間:59分 

大正末期、文壇で新鋭作家の集団として結成された“文芸時代”の同人・横光利一、川端康成、片岡鉄兵ら、いわゆる新感覚派の協力を得て、衣笠貞之助が日本映画史上はじめて監督として独力で製作した作品。純粋映画を狙った画期的な無字幕の無声映画として話題を呼び、当時としては異例だが洋画系で封切られた。狂った妻が入院している精神病院に勤める小使いの目を通して、非日常的な世界を光と影の中に描いた映像は強烈。1971年に消滅したものと思われていたフィルムが、偶然に発見され、フランスやイギリスで公開、大成功を収めた。


《作品解説》
場所はある精神病院。主として患者たちの妄想でストーリーがつづられてゆく。幻想だから話は明確にはつながってゆかないが、愛の危機にのぞんで正気を逸脱した人々の悲しい思いや、うつろな歓楽が詩的にうかびあがる。精神病院の患者のイメージの世界ということで当時大評判だったドイツ表現派映画「カリガリ博士」の影響を考えないわけにはゆかないが、ああいうグロテスクな強迫観念の世界ではなくて、むしろ感傷的なまでのやさしさでもって人生の哀歓を謳いあげた映画詩だ。大きな紗を使って後景をぽかして幻想の情景とし、前景ではリアルな現実が進行するとか、面を使うとか、ごく短いショットのリズミカルな編集とか、凝りに凝った技巧を重ねた。企画に新感覚派と呼ばれていた作家の横光利一が参加し、新進作家の川端康成がシナリオを書いた。ヨーロッパやアメリカではすでに映画は芸術の域に達していたが、日本ではまだ低俗な娯楽としか見られていない。日本でも映画を芸術として確立しようという野心的な青年映画人の呼びかけに、文壇の新進たちが呼応したのだ。新感覚派とは、小説の文体から極力説明的な文章を排して象徴的あるいは詩的な感覚的に鋭い記述を志した文学流派で、これがやはり平板な説明的映像を排除しようとする映画の前衛たちと結びついたのである。
佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より)

2010年3月5日金曜日

レネ『恋するシャンソン』の挿入歌

先日、このブログで紹介したアラン・レネの映画『恋するシャンソン(みんなその歌を知っている)』に使われた挿入歌のうち、YouTubeで聴ける曲のリストを、うんこ詩人の竹村正人氏が送ってくれました。
それにしてもジェーン・バーキン、美しい・・・。はぁ・・・。

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『恋するシャンソン』の挿入歌

①「二つの愛」(1931) ジョゼフィン・ベーカー
http://www.youtube.com/watch?v=8NsH7uJ1Y2g

②「あまい囁き」(1972)ダリダ&アラン・ドロン
http://www.youtube.com/watch?v=Qb8A1tF1JsM

③「街角の鐘」(1966) シャルル・アズナブール
http://www.youtube.com/watch?v=S7O9ZWjv_Dg&feature=related

⑥「体の弱い僕」(1934) ガストン・ウヴラール
http://www.youtube.com/watch?v=4wsdksMsbUI

⑧「僕は女の子たちが好き」(1967)ジャック・デュロン
http://www.youtube.com/watch?v=pIpRruKChBM&feature=fvsr

⑩「ナタリー」(1964)ジルベール・ベコー
http://www.youtube.com/watch?v=asAepCRxpek

⑪「くよくよするな」(1921)モーリス・シュヴァリエ
http://www.youtube.com/watch?v=SLLG_AH7KIk&feature=related

⑫「そして残りは」(1933)アルレッティとアキスタパス
http://www.youtube.com/watch?v=7p7F3AqwUos

⑬「私は気にしない」(1946)エディット・ピアフ
http://www.youtube.com/watch?v=80MpC6lNp9E

⑭「恋のめまい」(1981)アラン・バシュン
http://www.youtube.com/watch?v=tI0Te4oGVgs

⑮「授業は終わり」シェイラ
http://www.youtube.com/watch?v=uLNYItOsKx8

⑯「灰色の途」(1974)セルジュ・ラマ
http://www.youtube.com/watch?v=BkLTN2ataZk

⑰「時の流れに」(1971)レオ・フェレ
http://www.youtube.com/watch?v=aiXcUTTLud4

⑱「友よ、よい友達よ」(1931)アンリ・ギャラ
http://www.youtube.com/watch?v=r2uH1-FkXuc

⑲「コワ」ジェーン・バーキン
http://www.youtube.com/watch?v=4PtPIEW3Dhs

⑳「レジスト」(1981)フランス・ギャル
http://www.youtube.com/watch?v=5w-iyGEvRD4

21「楽しみ給え」(1935)アルベール・プレジャン
http://www.youtube.com/watch?v=Xvyi6sShhic&feature=related

23「女の子のスカートの下に」(1993)アラン・スーション
http://www.youtube.com/watch?v=1YiZmZeEyZE

24「デルニエール・セアンス」(1977)エディ・ミッチェル
http://www.youtube.com/watch?v=Uem5dNtYUiI&feature=fvst

25「ダンスに行く私が一番きれい」(1963)シルヴィ・ヴァルタン
http://www.youtube.com/watch?v=LBSI2KNiIbQ

26「私は去ってしまうと君に言いに来た」(1973)セルジュ・ゲンズブール
http://www.youtube.com/watch?v=ovwvhOSMs8I&feature=related

28「サ・セ・ヴレモン・トワ」(1982)テレフォン
http://www.youtube.com/watch?v=jE6zDRVtnAE

29「理性をなくすこと」ドラネム
http://www.youtube.com/watch?v=_2_uUp3ug0M

30「俺のツラ」(1979)ジョニー・アリディ
http://www.youtube.com/watch?v=kyjdGtX1TbE

31「モン・プチ・ルー」(1979)ピエール・ペレ
http://www.youtube.com/watch?v=mg8vcHtGcI8

32「ル・マル・エメ」(1974)クロード・フランソワ
http://www.youtube.com/watch?v=wGVS3zwJPto&feature=fvw

33「去らないでほしい」(1977)ミッシェル・ジョナス
http://www.youtube.com/watch?v=TSuD18QIskY

34「時は過ぎゆく」(1971)ジュリアン・クレール
http://www.youtube.com/watch?v=ihTpfj_wh7k

35「シャンソン・ポピュレール」(1973)クロード・フランソワ
http://www.youtube.com/watch?v=V958q-jE6Wk

2010年3月2日火曜日

究極Q太郎「田舎育ち」

道端に雑草が生い茂っている。
狂ったように・・・
黙(もだ)して身悶えるように

昨日までずっと降り続いた雨が、
かれらを険しく育んだのだ。
暗く垂れこめた冷たい空が、
見捨てられた児の心を毛深くした。

草むらを見つめるとき
ぼくの眼はいっとうなごむ。
その匂いを嗅ぐとき
優しい思いがたち騒ぐ。

他のだれとよりも、ぼくは、
かれらといっそう馴れ親しむだろう。
家族よりも、恋人よりも、友人よりも・・・。

なぜなら、雑草にまみれて育った
ぼくは、草の葉にこすれた
擦り傷だらけでいっぱいなんだ。

田舎育ちなんだ。







※究極Q太郎詩集『ラブ、アイリス、そしてライフ』(1998年8月刊,私家版)より。

究極Q太郎「調子っぱずれの蛙の歌」

世の、まっとうな人びとは
要領よく、ポイントをおさえ、
足なみそろえて動いていく
そのてのコツを
心得た気でいるけれど、
おれみたような
存在がぞんざい
なのが見ると、
する用もない気がねをして
せせこましい、その
遂行ぶりったらないぜ。

でも、そのかんも
わが朋輩の、蛙どもは、
田で、鳴き声を
はりあげてござる。

「・・・権力が、
どうしたこうした。
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ・・・」。

「・・・ニーチェを越える
哲学をやる。
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ・・・」。

そこ、ここで、
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ。

いったいぜんたい、あんたがた、
いつの時代に生きてんだか。

調子っぱずれもはなはだしい。
田で、鳴き声を
はりあげてござる。





※究極Q太郎詩集『ラブ、アイリス、そしてライフ』(1998年8月刊,私家版)より。






しげかねとおるさんが企画出版した『究極Q太郎の詩集』(2005年,一〇〇〇番出版)は名作でしたが、私家版詩集でしか読めない詩作品にも素晴らしいものがたくさんあります。ぼくの手元にある私家版は先に紹介した『名無しの名前』と『ラブ、アイリス、そしてライフ』の二冊だけなので、『究極マニア』『おれたち愚劣な俗物~革命詩集~』『歯の浮くような過激な言葉』などの伝説的な詩集にはお目に掛かったことがありません。だめ連関係者のどなたか、持っている人はいませんか? そこにどんな詩が収録されているのかとても気になります。

あ、だめ連界隈の中では究極さんがどれだけすごい詩人かということを知らないのが普通のようで、詩人の世界では日本のポエトリー・リーディングの草分けとして大変な尊敬を集めながらも、アナキストとしての究極さんのこと(だめ連での活動や雑誌『現代思想』などへの寄稿のことなど)はほとんど知られていません。


ちなみに究極さんは1986年、19歳で現代詩手帖賞を受賞しながらも詩壇から忽然と姿を消し、その後はミニコミ一筋で詩を発表されてこられた方で、90年代に一世を風靡しただめ連の中心人物でした(神長恒一・ぺぺ長谷川に続く、だめ連No.3といえばだれもが究極さんを挙げるそうです。そもそもどこからどこまでがだめ連なのかは謎なんだそうで)。公共料金まで「究極Q太郎」で登録しているため、昔から付き合いのあるだめ連関係者でさえ究極さんの本名を忘れてしまっているくらい。なので究極さんと親しい詩人ですら誰も本名をしらないようです。面白いですね。

2010年3月1日月曜日

究極Q太郎「ほげ歌」

かわるため
足場が あったため
時が
待ってくれた

ひといきに
変われぬ から
くどかれた だけじゃあ
変われないから

崩壊と
萌芽は

ふたつながら いぎたなく 眠り
ほうける

そのとき ひとは みな
若衆宿の
寝屋 みたいなもん

あざやかな なやましさに 迫られ
刺々しい 承知に うなされても
みんなみんな 夢か うつつか
ほんとの とこは 知っちゃいない

まじないを かけられたように
眠り続けるひとを 起こす といって
うけあった グルは
青柿 もいで
たちまち 熟柿に かえてみせた

だけど 巧みな 手さばきの
みごとな めくらましに すぎないことは
先刻 だれもが 周知の事実

かわってく そのとき ひとは
日暮れた 山道に なずむ
蛍光塗料のような
かすかな うすあかりを たのんで

だれひとり 証人も なければ
自分さえ 後追いが むずかしい
その線を 踏んでいく

わけ わかんない ながら
揺られつつ なおも 波の上を
歩いてく ぼくのために

いまは まだ あげ潮よ 足場を
かくさないでおくれ かくさないで




※『究極Q太郎の詩 上 名無しの名前』(2003年5月刊,私家版)より。

究極Q太郎「八百屋と 日々」

道の 叉に ある その家(うち)に
ぶつかりそうな 毎日

たなに ならべたものを
むだに ひからびさせている
商売不熱心な 八百屋さ

野菜に くだもの
まるで 古本や 古道具みたいに
扱ってヤガル

ぞんざいな たたずまいの
その 凄まじさ と きたひには
こうなりゃ いっそ 贔屓ににしてやろか
と 思うほど

けども こちらの
購買意欲を そそるものは

いっさい 置いちゃ
ないんだから




※『究極Q太郎の詩 上 名無しの名前』(2003年5月刊,私家版)より。

究極Q太郎「見知らぬ女の子」

見知らぬ女の子を
公園で見かけた。
白熊のような大きな犬が
水飲み場で水を飲むようすを見ていた。

いつのまにかならんで歩いている。
黄色い学童帽のしたから
顔をむけずに声をかけてきた。
「オジサンすみません、今何時になりますか?」

ぼくは腕時計をはめてないけど、
さっき公園の時計を見ておいたので
「一時だよ」とこたえた。すると
女の子は「もうすぐ四時だ」と言った。

「えっ。まだ一時だよ」と言うと
指をおりながら「一、二、三、もうすぐ四時だ」と言う。
「いつも四時までには帰ってるんです。
それまでに帰んないといけないんです」と言った。
そして、
「こっからのぼってこ」って言って、
道のわきの階段をあがってってしまった。

「それは・・・」と
彼女が言った。
彼女はいつのまにかとなりを歩いていた。
ぼくたちは勾配の多い街を
煎餅をむさぼり食いながら歩いていった。

「それは詩が、自在にあって
筋のとおった解釈をせまらないからです」と
彼女は言った。
「そこでわたしたちは、しばらく
解釈するという自由を
手放してみたらどうでしょう」。

 見知らぬひとがふいに声をかけてくる。
 ガード下の影にたたずんでいる、
 見知らぬひとが、ふいに・・・。
 「燃えろ、燃えろ」といいながら、
 まつわりついてくる。

ぼくたちは池の畔に
腰をおろした。
水鳥や夕闇。
「その日暮らしの公園を
幾重にも、縫い合わせていく
あの、野良猫は、糸のさきの
針だ」ね
とそんなことを、おたがい思っていた。

そうして、
「さよなら」を言って別れた。
彼女は彼女のすることをしに
見しらぬひとへかえっていった。

そうしてぼくは、
ぼくのことをしに
他人たちのひとりに
帰っていった。





※『究極Q太郎の詩 上 名無しの名前』(2003年5月刊,私家版)より。

究極さん、3年あまりの沈黙を破って活動を再開されるとの噂が耳に届きました。本当ならとても素敵なことですね。
究極さんといえばしげかねとおるさんの一〇〇〇番出版が企画出版(!)した『究極Q太郎の詩集』(2005年10月刊→絶版)が有名ですが、ここではそれに収録されていない詩を私家版詩集から少し紹介したいと思います。