伊丹というところは、なんで駅前があんなに心地良いのか? 一晩寝て起きてふと思いました。
JR伊丹駅の北東方向にはダイヤモンドシティという巨大ショッピングセンターがあって、この辺はどこの街でもあるような光景。ただどこの街とも違うのは、ショッピングセンターの向こう側が伊丹空港で、飛行機がばんばん飛んでいるところでしょうか。でも、意外と離着陸の騒音は気にならず(住民の立場だとまた違うでしょうが…かつては壮絶な騒音公害反対闘争があったといいますから、随分改善されているのでしょう)。軍用機の、威圧感の強い騒音とは明らかに違うものでした。
それとは反対方向、JR伊丹駅の西側には伊丹の旧市街が広がっています。駅前で公園になっている有岡城は織田信長の家臣・荒木村重の居城でした。その村重は信長に背いたため1579年(天正7)に包囲、落城するのですが、その後はここに城が築かれることはありませんでした。
有岡城は「惣構え」といって、城下町を全て城の縄張りの中に取り込む、つまり土塁と濠で囲む築城方法が採用されたため、落城後も伊丹の都市区画は有岡城の縄張りの上にそのまま継承されました。つまりは要塞都市ですね。それが近世、酒造業で名を馳せた伊丹郷町になるというわけです。幕末の頃の古図でも土塁跡の樹木と濠跡の水路で区切られていることがよく見て取れました。
さて、JRの西側、有岡城跡公園を抜けるとすぐにAIホールという演劇ホール、ライブハウスがあります。それ以外にあるものは、いくつかの飲食店、コンビニ、いくつもの巨大マンションでした。そしてそこを抜けるとすぐに近世の町並みの面影を残すエリアに入ります。さらにそこを突きぬけていくと阪急の伊丹駅に行き着くのですが、旧市街をJRと阪急、二つの路線で挟み込むような形になっているというわけです。
駅前でのびのび寛いだりはしゃいだりしていた子どもやお年寄りは、ここの住人だったのかと気づきました。ぼくも以前からここに来ると必ずふらふら~っとした気分になるので、野外でビールを飲んで寛ぐことにしています(「伊丹なら日本酒やろ?」というつっこみが即座に脳裏をよぎるのですが、さすがに昼間から日本酒飲んで歩き回るのは抵抗があります)。
その旧市街を西に貫く道が充分な道幅のある歩行者専用道路になっていて、これが解放感を催す大きな秘訣なのではないかと思いました。
そこで日々の生活を営む人々と、観光やイベントのために非日常の憩いとして訪れる人々とがともに心地よくいられる場所になっているのは、都市計画者も含めて、ここに関わる様々な立場の人々
の間で、価値観が共有されているからなのでしょう。
歴史的文化遺産の活用というのは、実はとても困難な問題が絡みやすい取り組みなので、奈良のような失敗例は枚挙にいとまがないわけですが、伊丹は近世の建造物群を、住民の視点でうまく活用した都市計画になっているように見受けられました。
都市社会学的な視点で調査・研究してみると、いろいろなことがわかりそうですね。
伊丹には旧市街以外にも、行基さんが築造したという昆陽池などの史跡が多数ありますので、また機会あるごとに歩いてみたいと思います。
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