2010年3月2日火曜日

究極Q太郎「調子っぱずれの蛙の歌」

世の、まっとうな人びとは
要領よく、ポイントをおさえ、
足なみそろえて動いていく
そのてのコツを
心得た気でいるけれど、
おれみたような
存在がぞんざい
なのが見ると、
する用もない気がねをして
せせこましい、その
遂行ぶりったらないぜ。

でも、そのかんも
わが朋輩の、蛙どもは、
田で、鳴き声を
はりあげてござる。

「・・・権力が、
どうしたこうした。
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ・・・」。

「・・・ニーチェを越える
哲学をやる。
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ・・・」。

そこ、ここで、
ぎゃげょぎゃげょぐをぉ。

いったいぜんたい、あんたがた、
いつの時代に生きてんだか。

調子っぱずれもはなはだしい。
田で、鳴き声を
はりあげてござる。





※究極Q太郎詩集『ラブ、アイリス、そしてライフ』(1998年8月刊,私家版)より。






しげかねとおるさんが企画出版した『究極Q太郎の詩集』(2005年,一〇〇〇番出版)は名作でしたが、私家版詩集でしか読めない詩作品にも素晴らしいものがたくさんあります。ぼくの手元にある私家版は先に紹介した『名無しの名前』と『ラブ、アイリス、そしてライフ』の二冊だけなので、『究極マニア』『おれたち愚劣な俗物~革命詩集~』『歯の浮くような過激な言葉』などの伝説的な詩集にはお目に掛かったことがありません。だめ連関係者のどなたか、持っている人はいませんか? そこにどんな詩が収録されているのかとても気になります。

あ、だめ連界隈の中では究極さんがどれだけすごい詩人かということを知らないのが普通のようで、詩人の世界では日本のポエトリー・リーディングの草分けとして大変な尊敬を集めながらも、アナキストとしての究極さんのこと(だめ連での活動や雑誌『現代思想』などへの寄稿のことなど)はほとんど知られていません。


ちなみに究極さんは1986年、19歳で現代詩手帖賞を受賞しながらも詩壇から忽然と姿を消し、その後はミニコミ一筋で詩を発表されてこられた方で、90年代に一世を風靡しただめ連の中心人物でした(神長恒一・ぺぺ長谷川に続く、だめ連No.3といえばだれもが究極さんを挙げるそうです。そもそもどこからどこまでがだめ連なのかは謎なんだそうで)。公共料金まで「究極Q太郎」で登録しているため、昔から付き合いのあるだめ連関係者でさえ究極さんの本名を忘れてしまっているくらい。なので究極さんと親しい詩人ですら誰も本名をしらないようです。面白いですね。

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