昨日(10/11)、奈良盆地約90ヶ所、200人以上のアーティストによる同時多発展覧会・奈良アートプロム(NAP)は閉幕しました。場所によってはまだ続いているのもありますが、奈良を現代アートで染めた熱い十日間でした。
期間中、六日間の休みを取り、奈良市旧市街と橿原の40ヶ所、70人以上の作品展示やパフォーマンスを見、そして300枚以上の写真を撮っただけでなく、僕自身がゲリラパフォーマンスまでやってしまうほどでした。
とにかく数を、というよりは、カイナラタクシービルやカフェsample & sample White roomなど、気に入ったところには何度も足を運び心ゆくまで過ごすという、とても贅沢な楽しみ方をするなかでいろいろなことが見え、そしていろいろなことを思索しました。
これほど多くの会場で展覧会が開催されていたので、そもそも会場すべてをしっかりと鑑賞して回ることなど不可能なことですし、展示会場や参加作家も増殖するため実行委員会ですら正確な参加人数を把握するのが不可能という、前代未聞のアートフェス。これほど会場が多いと、素晴らしいと評判の展覧会に行けなかったり、行ったら休みで閉まってた、まだ始まってなかったということも少なからずありましたが、そんなことは何ら問題ではありません。それどころか、そのようなところにこそ価値があるのだと宣言したってかまわない。
なぜなら、この奈良の各地で、創造的な活動の果実が、あるいは生成する芸術行為そのものが、この同じ時間に生起し、そしてほかならぬこの僕自身がそこに立ち会っているということ、それを想像し感じることそのものがよろこびなのですから。
そう考えると、列島の各地で、アジアの各地で、世界の各地で・・・、と想像力はどんどん広がっていきます。
今回僕は、奈良を新しい思想と批評が生まれるトポスにしよう、というNAPの基本理念に即して芸術の現場に立ち会いました。行く先々で出会いがあり、路地を歩けば誰かと出くわし、アヴァンギャルドの遙か先を行くものや芸術の限界領域をさまようもの、生活に根ざした素朴な美、そしてポップなものマヌケなものまで、異質で多様で雑多なものたちが織りなす、とてつもない生と創造のエネルギーが渦巻いていたこの十日間の出来事とその意義については、これからじっくりと深められていくことでしょう。
今ひとつだけ確実に言えることは、NAPとは未来へと投げられた出来事だ、ということでしょうか。
それは既存の、現代において芸術を、あるいは芸術家であることを可能にする条件そのものに関わる美学的基準を転換する、大きな可能性を秘めた出来事かもしれません。
実行委員やボランティアの皆さま、素晴らしい作品を制作し僕らに見せてくださった作家の皆さま、会場を提供してくださったカフェやギャラリーの皆さま、本当にありがとうございました。
今週末はNAPに大きな期待と喜びのお気持ちを寄せてくださったアート界の仙人・ダダカン(糸井貫二)先生に会いに行きます。うんこ詩人の竹村くんと二人で仙台まで。
おみやげはもちろん、NAPにまつわるいろんなモノやお話です。
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