2011年10月9日日曜日

今井町の独自性 

橿原市、近鉄八木西口駅から南西にすぐのところにある今井町は、天文年間(1532-1555年)に本願寺の僧侶・今井兵部によって築かれた寺内町(寺院を中核に形成された環濠城砦都市)である。戦国大名どもが暴威を奮う血みどろの時代にあって、庶民たちの多くは信仰に救いを求めたわけだが、戦国の覇者・織田信長に対する最大の抵抗勢力であった一向宗(浄土真宗)は、全国にこのような拠点としての寺内町を建設した。
HANARARTの会場である今井町は中世-近世を経て連綿と維持されてきた歴史的景観が、もっともまとまった形で残されている名所である。

近年、町家でアート、町並みで町おこし、といった取り組みが各所で行われる中で、多くの人が歴史的景観の存在を自明視するようになった。だが、実は奈良というのは土建立県で、文化遺産(特に埋蔵文化財)の破壊、保存運動の失敗率にかけては、かなりひどいレベルにあるのだ。

とまれ、ここでは歴史的景観が自明のものではなく、先人達の、それも近代化現代化に直面したつい数世代前の人々の努力と、それを継承し今そこで暮らす人々によって維持されてきたということを忘れずにいてくれればと思う。

わけても今井町は、70年代以降、妻籠や萩などのように歴史的景観の保存を観光に結びつけることで成功したケースとは違い、ながらく観光名所化を求めず、あくまで生活空間としての保存・再生に専念してきたという独自のあゆみが今に活きている、そんな町なのだ。

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