2011年10月28日金曜日

プータナランド (HANARART/郡山城下町・郡山八幡神社)

ヒロプーとターナの二人組アートユニット“プータナランド”による「豊饒の神に奉る 豊かな想像力の泉湧く案山子」と題された作品。


ジョルジョ・デ・キリコのマネキンを思わせる顔は米を表している。
左手に稲穂、右手に花。これは物質的な豊かさと精神的な豊かさの象徴であろう。
袖には人々の意思や願いが書き込まれた短冊がたくさん貼り付けられている。


背後は泉を表象。案山子の背中には昇り鯉。

円錐状に盛った赤米や額に入った油彩画、切り絵などがちりばめられている。


解説つき。


この案山子(かかし)は権現としての田の神と山の神なのだという。
権現とは仏菩薩が人々を救済するために、神の姿をとって現れること(本地垂迹/ほんじすいじゃく)。

はるか昔、木、火、土、石、山、など自然の中にある様々な事物を崇拝することから神社が形成され、仏教伝来後は神仏習合が標準的な民間信仰の形となった。自然の事物に限らず、厠や台所、さらには道具や調度など身のまわりのあらゆる事物にいたるまで神性を感じるきわめて豊かな信仰の形であったのだ。それが明治国家による神仏分離令、ファナティックな廃仏毀釈などを経て、神社本庁が統べる国家神道によって全国の個性豊かな信仰を象徴する神社が思想的に画一化されていく(戦後も神社本庁は解体されず、現在に至るまで神社神道の本部として健在)。
だが、人々の信仰はそもそも雑多である。雑多な人々の雑多な想いが集まり、長い年月の中で神事や祭礼が形作られ、そして受け継がれてきたのだ。
この案山子はそのような信仰のあり方をポップに視覚化し、さらには創造性の源泉としてのイメージを飛躍させたものなのだろう。
八幡神社なのに、床の間の掛け軸は南無八幡大菩薩(ナムハチマンダイボサツ)、ではなく天照皇大神(アマテラスオオミカミ)。これは国家神道の名残であるが、同じ空間にこのような案山子があるというのは、実に面白いコントラストである。




HANARART http://hanarart.main.jp/index

郡山城下町での開催は10/30(日)まで。

1 件のコメント:

  1. 後から気づいたのだが、天照皇大神の掛け軸の隣に法隆寺五重塔のミニチュア模型が飾ってある。宮司さんのこのセンスは美事である。

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