林業は気の長い生業であるが、その基礎的なものに枝打ちという作業がある。それは樹木の成長とともに増え伸びていく枝を地面に近いところから落としていく作業である。これをこまめに行うことで節のない美しい正目の木材ができるのだが、逆にこの枝打ちという手入れを怠ると、木材は節だらけの「醜い」ものになり強度にも難が生じるため、二流品、三流品とされる。
しかし作家はそのように一般には卑下される、節だらけの板が敷き詰められたここ俥座に愛を感じるのだという。
作家は節の数を隈無く数え、そこに1600枚の「レイヤロジール」なる物体を載せている。(「レイヤロジール」とはレイヤー状の樹脂エロジールという意味で、作家独自の世界観によってご友人が系統的に名付け分類した概念なのだと→作家ホームページを参照)
節を掩う一枚一枚のレイヤロジールは透明の樹脂をベースに、その上から着色された樹脂を順に落としていくことで作られる。
脂肪分の多い牛肉のような生ハムのようなものは失敗作だそうで、よく見るとところどころに点在している。失敗とはいっても偶然出来上がったこの模様をもつレイヤロジールにさえ、作家は愛情を抱く。
柱のあるポイントを境にレイヤロジールは姿を消し、節が剥き出しになる。
東側の壁には合板に樹脂を落として作られたタブローとしてのレイヤロジールが並ぶ。使用する色は白、青、赤、黄色などに限られていながら、樹脂を投下する間隔や量などによって緑や紫になり、微妙なグラデーションが生まれる。
これを眺めていると杉や檜など春先にいつも苦しめられている花粉の顕微鏡写真を連想した。杉材の節を掩うレイヤロジールと花粉状の図像、そのアナロジーが想像に遊ぶ時間をさらに楽しいものにしてくれる。
節は嫌われ者で、花粉もまた嫌われ者。
だが作家はマイナー性を感じるものに強く創造性を触発されるのだろう。マイノリティであること(になること)の肯定。
杉材という支持体、レイヤロジールを形成する樹脂素材の物質性それ自体がもたらす可能性、そして「異物」を展示しながらも町屋の特性と調和した空間構成、それを成し遂げた作家の演出力に魅了された時間であった。
★河合晋平ホームページ http://shimpei.tank.jp/
HANARART http://hanarart.main.jp/index
ならまちでの開催は10/30(日)まで。
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