ベルリンやアムステルダムのスクワットハウスを思わせる不穏さだが、ちゃんと家賃は払っているとのこと。
入ってすぐの部屋はギャラリーとして使うためのホワイトキューブ仕立て。そこに展示されている花岡伸宏さんの作品。
ひり出されつつある大便だか、勃起してない陰茎だかを思わせる。
これは吉原啓太さんの作品。この自転車(ママチャリ)自体、オブジェとしての存在感は充分であるが、実は荷台後部に仕込まれたビデオカメラで道路の路面を撮影するための装置。
この写真では写し込めなかったが、カメラのディスプレイで再生された路面の表情はさながらアニメーションのよう。
カメラがスキャナーのように路面の模様を採取するこの装置を通じた芸術行為を、吉原さんはドローイングに見立てている。しかしインク瓶の換喩としてのビデオカメラが路面の表情を吸い取っているような感じなので、いわば逆ドローイングともいえる。
「どんどん 土足でどうぞ」の張り紙。
これも吉原啓太さんのインスタレーション。
この光を透過するプラスチックの箱の中にカメラが仕掛けられ、その箱をクロネコヤマトの宅急便で吉原さんの自宅から此花メヂアまで郵送する。その過程の箱の内側からみた光景をカメラが勝手に撮影した映像を、モニターに映し出す。作家はこれもドローイングと位置づける。
作家の意思によって設えられた装置が、作家の意思や意識が全く届かないところで起こる出来事を捉える。その重層的で多面的な意味についての問題を投げかける、プロブレマティックな作品。
箱の中からみた光景。
上の2枚は佐藤健博さんの作品。下の作品は自然の樹木を幹ごと切り取ったものに、角材を接続。1階の最初の部屋では花岡伸宏さんと一緒に展示していました(写真なし)。
その隣の部屋から佐藤健博さんの作品を臨む。
前谷康太郎さんのビデオインスタレーション。小汚い作品(失礼・・・)が小汚い空間に散在する中で、前谷作品は美しさとともに不安を掻き立てるような静謐さが異彩を放つ。
しかし画面上にはイメージらしいイメージは何も映っていない。
イメージの不在・・・、そこからかつてモニターが映し出していたかもしれないイメージの残像へと意識が向けられることを促す。
3階のこの部屋には福永宙(ふくながおき)さんのインスタレーション。しかし最初に一人で見たときは誰のものなのか、何を意味するのかさっぱり分からず。後ほど吉原さんに案内していただいた。
パソコンのモニターにはこのような映像が映るばかり。吉原さんに聞くと、これは米ニュージャージーに滞在中の福永さんの寝室なのだそうで、スカイプで繋がっているのだと。しかしずっと就寝中のため、「宙さーーん」と叫んでも、もぞもぞと寝返りをうつばかり・・・。
今年3月に開かれた福永宙「ゴーレム」展のレヴュー↓
3階の別室、かつてここに住み込んでいた工員(男性)が出て行った1982年がそのまま凍結されている部屋。色褪せたアイドルのピンナップやカレンダーなどがそのままに・・・。
この部屋に花岡伸宏さんのビデオインスタレーションが展示されていた。
花岡さんの作品。意味は不明・・・。
もともと別々の棟だったのを無理矢理くっつけた継ぎ目にある階段。
壁に遺されたみつばちハッチのデカール。遥か昔、うちにも貼ってた。
2階、洗面所とトイレ。
「見っけ、このはな2011」は10/30日曜日、まるで打ち上げ花火のような刹那の輝きを強烈に放つ、たった一日だけのイベント。
密度濃すぎ。毒素が体に回って食傷気味になってしまった。
しかし不穏さとマヌケさと先鋭さ、そしてやさしさとが入り乱れたとてつもない潜勢力を、しかとこの目でみてしまったのだから、さあこれからどうしようか?
NAPといい見っけこのはなといい・・・
大変だ、大変だ・・・。
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