出合町家を入って最初に目にする花綺者山田廣之進の作品は視覚的インパクトが強烈である。
赤瀬川原平の読売アンデパンダン時代の作品を連想させる「体液摂取」。手前下にある黒い花束が、背後のイーゼルに架けられた黒い平板から数本のパイプを通じて栄養を摂取している図? 芸術を食い物にして生命を維持する黒い花・・・とは何のメタファか?
“裸眼3D”と銘打つ「タマゴリアン」なる作品。
卵の殻に活けられた造花が、左右にそれぞれ2本ずつ。それがフードのように湾曲させたスチール板に反射し、左右それぞれに1つの花として結像するというもの。
その映し出された花の像が、さしたる努力もなく裸眼で立体化して見えるのだから、誰にとっても新鮮な驚きをもたらしてくれる。HANARART目的ではない一般の観光客やHANARARTの噂を聞いてかけつけた今井町住民の方々にとっては、楽しいオブジェであろう。
そのように、不特定多数の人々とアートとの邂逅というのは、町家をつかったアートプロジェクトの醍醐味に違いない。
試みに右は右目で、左は左目で、意図的には焦点を絞らず遠くを眺めるように凝視すると、浮かび上がる花の立体度合いが際だって高まった(平行法)。
次に右は左目で、左は右目で、視線を交差させるいわゆる寄り目で凝視すると、左右に配されたオブジェの真ん中手前に、まるで万華鏡のような像が浮かび上がった(交差法)。
実によく出来ている。
◆衣川泰典
「スクラップブックのような絵画#4(僕達の記憶)」と題された屏風状の絵画作品。手前に咲くのは「記憶の花」。
木製パネルを支持体に様々な印刷物をコラージュし、その上から重ね塗りがなされている。
ここでの印刷物とは、作家が見たり聞いたり体験したり、あるいは空想した様々な記憶の似像である。そのように集積された断片を通じて見える世界とは、いったいいかなるものなのか。
この作品を見る者にとっては、それが作家によって提示されたものでありながら、まるで既視感のようなアナロジーを促す。
「夜の向日葵」。窓からの弱い光が表面に反射するようあえてこの角度から見てみると、マチエールに堆積した印刷物や絵の具が層をなしていることがよくわかる。
「夜の向日葵」。窓からの弱い光が表面に反射するようあえてこの角度から見てみると、マチエールに堆積した印刷物や絵の具が層をなしていることがよくわかる。
「色彩と影の花」。台座の上に据えられた花の影が背後に立てかけられた板に映る美しい作品である。
◆北川雅光
雑草の中に花はあるのか・・・。古い畳の上にただ置かれただけのタブロー。足元を上から眺める、ということに意味があるのだろう。
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