2010年10月4日月曜日

NAPグループ展2010「ザ・great 盆地フロンティア」 於、カイナラタクシー綿町ビル

奈良アートプロム2010のメイン企画ともいえるグループ展は50年前に建てられ、17年前に使われなくなったカイナラタクシー綿町ビルが会場でした。



いろいろと思うところがあり、まだ言語に定着しないさまざまな感情が浮遊しているのですが、とりわけ心に深く浸透した作家の作品から、素描してみたいと思います。



◆中橋祥行さん


これはビル1F奥に安置された発泡スチロールによる作品「光の臨界」。建築模型のようでもあり、都市計画者が抱いたユートピア的なイメージを形にしたような。期待や希望や、あるいは幻想を内包する、まだ現勢化しないなにものかが静かに胎動する光景。下部にある四つの突起した物体はこのカイナラビルを横倒しにしたようにも見えます。この会場で最初に出会う作品が「光の臨界」であることには、深い意味がありそうです。






出ることが許されないため、窓から垣間見ることしかできない屋上に展示された作品「時の侵食」。



◆藤川奈苗さん
「The small room 」と題された作品群。3Fの壁面に展示されています。





木の板に刻んだドローイング。線は板の外にも拡がり、壁の罅割れに溶けていきます。


白いのは壁の汚れを練り消しで消したものだそうです。染みや罅割れとの違いが判然としないドローイング。



これはあるタブローの一部分をクローズアップして撮りました。



藤川さんのご自宅の近くには、白鷺が多数繁殖する濠をめぐらした古墳があり、その墳丘の奥にある石室の存在に惹かれるものがあったといいます。聞くとそれは4世紀の著名な古墳で、宮内庁が陵墓に指定しているため中に入ることはできないのですが、それゆえ荒らされることもなく上部にゆたかな森を湛えています(この際、盗掘の有無は問題外)。死者を葬るために築造された古墳が悠久の時の中で、常に生命を育み、亡骸を土に帰し、そして姿を変えながらもずっとそこに佇む、その存在の偉大さに作家は大きなインスピレーションを受けているのでしょう。

その古墳の石室が、自らの心の中にある記憶の部屋と重なるのだといいます。

また、藤川さんは日常から切り離された時間や空間に興味があるそうで、夢の中に現れる子どもの頃の遠い記憶と現在の記憶とが重なるとも言っていましたが、自らの記憶の中の時間の整序、そしてそのような内的時間意識と外的な時間意識、あるいは外在的な時間の流れそのものとの関係は、常に浮遊し、定まったものとして現前するわけではありません。
ですが、それは無秩序なのではなく、様々な形で訪れる偶然や必然の機会によって、いつも一回切りの秩序として現れ、そして意味を遺しては消えていくもの。
記号化され、諸作品に描写された小さな四角い模様は、内面世界の過去と未来、内面と外面、時空を超えて時に否応なく、時に自由に結び合う記憶の小箱の象徴のようです。作品の暗い色遣いが演出する効果とも相まって、この箱のようなビルの一室に刻まれた記憶の痕跡とも、見事に溶け合っています。

藤川さんの作品群は、かけがえのない瞬間として僕らの人生に意義を与えるさまざまな出来事について、想いをはせることを促してくれる素晴らしいものだと思いました。


◆三好剛生さん

藤川さんの作品に囲まれた3Fのフロアに、それは群をなしていました。タイトルは「群想図」

コウテイペンギン。




後ろから。


三好さんは極寒の南極大陸の極寒の季節に、もっとも厳しい内陸部で身を寄せ合いながら営巣するコウテイペンギンの生き方にシンパシーを感じるといいます。
輝く白さのペンギンには表情はありませんが、よく見れば顔の向きは微妙に異なっています。一見個性のない同質的な集団にみえながら、実は異質で特異な者たちが群れることで創造的な共同性を形作っているということは珍しいことではありません。そしてそれが形を成したときに現勢化するエネルギー。僕自身、NAPにはそのような魅力を強く感じ、そしてその可能性に大いに期待しているので、やはりこの作品はグループ展のコンセプトと合致しているのだと思いました。
この作品は厳しい環境の中でも、群れることによって開かれる可能性への揺るぎない信頼に裏付けられているようです。群れることの存在論的肯定。

三好さんの作品は、徳田奈穂子さんのように動物を群で表現する作家たちの作品と対比すると面白いかもしれません。

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さて、この同じ3Fの部屋を共有することによってしかありえなかった藤川さんと三好さんとのコントラストが、とても面白かったです。
それは、藤川さんの作品が、まさに人間がそれぞれの人生を日々精一杯営む中で形成されてきた現代の物質文明をも象徴しているようで、このコントラストは、物質文明が南極大陸の夏の温暖化によるペンギンの大量死滅をもたらしているという問題を想起させたからです。

人間の営み、その集積としての文明を象徴するビルに一体化した藤川作品と、それに囲まれた無表情なペンギンの姿は、人間と自然との間の埋めきれない断絶を、残酷なまでに象徴しているようにも思えたのでした。作家の意図を超えて・・・。

ですが、このカイナラビルに堆積した記憶、作家たちの感性、その結晶としての作品、実行委員の方々の仕事、それらの背後にあるもの・・・、といった無数のモナドが響き合うことでそのような効果が表れたのでしょう。



◆三田村龍伸さん



鹿にお辞儀。

鹿もお辞儀。


僕もお辞儀。というか土下座(谷内薫さん撮影)。これは多分、正しい鑑賞法だと思っております。DVDはOKビルのNAPおみやげ展会場で売ってました。


◆谷内薫さん

アウラを陶で表象する作家、谷内さんの作品「懐」は三田村さんと同じ2F。



以上、二枚は谷内さん撮影。


谷内さんへの批評は以前、このブログでも書いたことがあるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。↓
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.com/2010/04/2010.html
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.com/2010/05/blog-post.html



◆noil noir(ノイル・ノワール)さん


「手紙」と題された作品。

「手紙」という題、そしてキャプションに書かれたややニヒルに響く言葉、この美しい作品。このグループ展中、もっとも大きな謎でした。
ですが、このような身振りによってしか開示され得ないオルタナティヴを志向していることだけは感じられました。
橿原エリアのおふさ観音で期間中、個展をされているとのことなので、行くしかありません。



◆松本侑也さん
「聖闘士降臨劇場 五体不満足」




仏画のようでもあり、呪術資料のようでもありますが、どういうわけか僕はジョアン・ミロの「星座シリーズ」の中のいくつかを連想したのでした。




◆クニトさん
「Spaceplane Type-N」



コクピットは搭乗可能な造りになっていて実際に走るそうですが、ここはクニトさんだけの秘密基地。他者を拒絶するかのように、破砕された陶器の破片をちりばめたボディと、座り心地のよさそうなシート。この対極的な質感が見事。
ボランティアスタッフの方に乗ってもいいか訊いてみたら、やっぱりダメでした。



◆塚本佳紹さん
「愛と表面張力」





水を溢れさせるのは、

僕やあなたの、このひと粒。

それはやがて、世界を・・・・・・









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初日の夕方、カイナラビル下の駐車場でアーティストトークがありました。


ファミリーでやってきた河瀬直美監督も飛び入りトーク(デジカメ電池切れにより携帯カメラにて撮影)。河瀬さんのお祖父さんは昔カイナラタクシーの社員として、このビルで無線の仕事をしていたのだそうです。

4 件のコメント:

  1. 中橋さんの作品
    「光の臨海」も「時の浸食」も、目に定着させられない存在を形として可視化できないか実験しているような印象を受けました。白い発泡スチロールを使うことで光と影の純粋空間が生まれ、なおかつスチロールを透けて光はどこまで届くのか。
     「時の侵食」は屋外に設置されてあるため風や雨の影響を受けながら変化していく作品を見られそうです。白い石のようなもの、水、ブロック、木、目には見えない時間という存在が、物に痕跡を与えることで現れてくるのかな。白い石みたいなやつが眩しかったです。

    藤川さんの作品
    幸運にも本人とお会いできてお話を伺いましたが、まだ見ぬ石室の壁を記憶をたよりに描いている藤川さんの作品は、未来の記憶なのかなと思いました。なにかを思い出すことは、過去に関わるのではなくむしろ未来に関係しているとラッツァラートも藤井貞和も言ってますが、藤川さんの絵に、まだ見ぬ石室の壁やゴーストタウンの夢を見たような気がしました。

    三好さんの作品
    ペンギンたちがとてもシンプルです。一体一体の造型そのものではなく、光の当たり方や向いている方向の違い、あるいはそれぞれの位置、によって群れに多様性が生まれているように感じました。タルドは存在を定義する際、<異なっている>ことだけで十分だと考えた思想家ですが、なるほどペンギンたちは異なるという動詞において存在の多様性そのものではありませんか。<待つ>という受動態が不思議に能動性を感じさせる作品でした。

    三田村さんの作品
    面白いですね。バカだなーって感心しました。この挑戦する精神に盆地を切り拓く(掘り下げる)可能性を見ました。とりわけ海に向かってお辞儀する二つのシーンが感動的でした。

    谷内さんの作品
    以前からこのブログで写真を拝見してはいましたが、やっぱり現場で見ないとだめですね。アウラが伝わってきました。覗いているとうねうね吸い込まれそうな気がしたし、神棚の上にいるやつは笑っているようにも見えました。それぞれが今にも動きだしそうで、底からくる力のようなものを感じました。

    noil・noirさんの作品
    手紙を書く時って、こういう気持ちだなって思いました。生のものは送れないけど、なにか形にとどめられるように贈りたい。やさしく包み込んで大切に送りたい。と。



    ちなみにわたしが一番印象に残ったのは塚本さんの作品でした。本人にも会ってみたいな。


    カイナラビル、ひとつの芸術作品のようでもあり、芸術ビルのようでもあり、各階に作家たちが蠢めいているこんな夢のようなビルがあったらいいな、あ、あったのか、ってそんな未来の記憶でした。

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  2. 素晴らしいコメントをありがとう!
    noil noirさんの「手紙」、少しわかる気がしてきました。明日はおふさ観音に行ってきます。

    塚本さんのは僕も強い印象を受けたけど、イメージを反芻して言語に定着させるのはもう少し先にしようかなと。

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  3. 中橋さんの作品 2
    今日あらためて見てきましたが、雨が降っていたので「時の侵食」が面白かったです。水溜まりがポツポツと波紋を描き、ブロック石が濡れそぼっておりました。石が濡れている様はなんとも艶やかでございました。

    三好さんの作品 2
    ご本人とお会いすることができました。ペンギンたち、後から見ると、ばらばらのようでいて実は緩やかに出口を目指していることがわかります。最後列の一匹だけがぐっと首を伸ばしている様は、春を待つ芽のようでもあり、臆病だった存在が仲間の背中越しに前方を眺めやるようでもあります。「遅れて来たものが先にたつ」とはフランツ・ファノンの言でありますが、NAPはまさに街全体でそのことを証明しているように感じました。

    谷内さんの作品 2
    日が暮れて来て室内が暗くなったせいか、貝のようなものたちがよりいっそう怪しげに蠢いておりました。一回目の時は気づきませんでしたが、三田村さんの鳴らす太鼓の音が、貝たちを動かしているのでした。

    塚本さんの作品
    なにより展示の説明書きにある言葉がいいです。強く握ったらつるんと逃げていってしまう、玉のような言葉たちでした。ゆえに会ってみたい人のひとりです。

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  4. 今日も素晴らしい時間でありました。ありがとう。

    NAPの思想的意義はこれから少しずつ明らかになっていくことでしょう!

    塚本さん、そのうちどこかで必ず会えますよ。

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